Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

ひぐらしのなく頃に業 第一話の「痛さ」の正体 キャラクターたちの演技感

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ひぐらしのなく頃に業」一話を視聴し、そのあまりの滑りっぷりとイタさに衝撃を受けてこの記事を書いています。「ひぐらし」については最初から最後まで漫画版ではありますが履修済みです。魅音がベッドから這い出て来るシーンがトラウマです。

 

あまりの滑りっぷりに「昔のアニメ版も同じなのかな?」と思い2006年の「ひぐらしのなく頃に」の一話も観てみました。感想としては2006年版も相当滑っていました。しかし、「業」ほどの滑り方ではありません。何が違うのでしょう?2話のネタバレを含みます。3話はまだみていません。

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ホラーにおける ”汚さ” と ”未知” のつながりについて あるいはヒューマンホラーと宗教の関係性について

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ホラー作品を観たりプレイしていたりすると汚さという要素が散らばめられていることに気が付きます。不潔な場所、異形の化け物、血や臓物などがそれです。そう考えると清潔なホラーというのはあまり考えられないのではないでしょうか。そしてホラーの条件には汚さが含まれるのではないのだろうかか?そういった思い付きに端を発した一連の考察のようなツイートをまとめてここに投稿します。当時は考えられなかったことを追記して解説します。画像はGIMPの練習で作った「人を救いたいレザーフェイス」です。

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劣化も無化もせず、ただ積み上がり忘れ去られる映画レビューの繋ぎ止め

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ネットに放り投げた文章は自分で投げたのにもかかわらず、同じ自分が書いた新たな文章の積み重ねによって忘れられ埋もれていきます。それでもデータとしての文章はそのまま残ります。誰にも見られないだけでそこには存在しています。観察されない現象は存在していないのと同じだ、という話もありますが。映画レビュー置き場、第三弾です。しばらくぶりです。前回から5か月ほど経ち、50本ほど新たに観ているようです。

 

ラインナップは『ターミネーター2』『ランボー』『インターステラ』

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Randonautica(ランドノーティカ)のホラーな効能について

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Randonauticaとは

 今海外で「Randonautica(ランドノーティカ)」というアプリが話題になっている。このアプリは現在地から徒歩でだいたい一時間以内で行ける場所をランダムで指定してくる。ユーザーは指定された場所に出かけ探索することを促される、つまりは「お散歩アプリ」だ。「日常を離れて冒険する」というのをコンセプトに開発されているようだ。

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西谷啓治 西田哲学をめぐる論点(1936) 山内、高橋、田辺の西田哲学批判を通して

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「西田哲学に対する有力な批判の二、三を取り出し、両者の相折衝する場面をなす若干の論点を、一応、問題論的に検討してみるのが、この小篇の意図である」(p.164)

 

この論文「西田哲学をめぐる論点 —山内、高橋、田辺諸博士による批判の考察—」(1936)は上にある通り西田哲学への批判を通して、その問題点を探っていこう、という趣旨のものです。西田哲学だけでなく、ヘーゲル、京都学派の田辺元などの思想に触れられるお得な内容です。(引用ページ数は『西田哲学選集 別巻二 西田哲学研究の歴史』燈影舎に依る)

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狂ったスタローン 『ラストブラッド』

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ランボー』から38年、前作『最後の戦場』から12年の時を経てランボーシリーズ最新作にして完結作『ラストブラッド』が日本でようやく公開された。

 

ランボシリーズはPrime Videoに追加されたことをきっかけに全過去作を予習して映画観へと向かった。自分を含めて観客は10人もいなかったように記憶している。

 

そして肝心の映画の感想はというと「超面白かった」に尽きる…というと嘘になる。もちろん面白かったのは間違いない。しかし、その面白さはかなりの背徳感を伴って感じられた。

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ツイフェミという蔑称とフェミニズムの違いについて

ツイフェミ(良い表現ではないので以下文脈によってはツイと略して記す)と呼ばれる人たちの言動は、暴動という形で抗議する黒人のそれと同じだと考えられる。

 

彼らはなんらかの厳密な理論を持って暴れているのではなく、これまで自分たちが被ってきた不平等や差別という暴力をやり返しているのに過ぎない。だから彼らに論理を求め、その論理が破綻していることを指摘しても無意味なのだ。

 

 

 

ここで「ツイフェミ」と蔑まされて呼ばれている現象と、学問としての歴史も論理も備わっている「フェミニズム」が全く別のものとして認識できる。

 

多くの人間は論理が破綻したまま暴れるツイを見て「モテない女性のひがみ」とか「話の通じない相手」という印象を抱き、この印象を直接「フェミニズム」に繋げて考えてしまう。


しかし、これは明確に間違っている。学問としてのフェミニズムはより精緻で冷静な視点で描かれている。「フェミニズム」は哲学や社会学にも通ずる学問なのだ。ツイもフェミニズム穿った目で見ているあなたも結局は学問としてのフェミニズムに触れられていないのだ。

 

 


最後に「ツイフェミ」を客観的に描くにあたってツイに対して悪い印象を持った人も多いと思うが、これも間違いだと僕は思う。

 

最初に言ったようにツイの言動は黒人による暴動に重なる。暴動においては店から物が奪われ、建物は破壊されるという暴力的な行為が日常化する。


この行為が明確に非道徳的なのは疑いようがない。しかし、彼らは物を盗み建物を壊す単なる加害者なのではなく、これまで長い間社会という途方もなく大きな存在に痛めつけられてきた被害者でもあるのだ。つまり論理のない破壊行為は反動であり、加害者に対するカウンターパンチなのだ。


ツイにおいてもそれは変わらない。女性というだけで、男性というだけで何かを強制される、何かを制限される、弱くあることが求められる、強くあることが求められる。


このような暴力をツイの人々は日常的に受けている。私たちだって気付いていないのだけで受けている。それをやり返さず黙って耐えていろ、という方が酷なことではないか。

 

確かにSNSという全方向に発信されてしまうものと、怒りに任せた行動は相性が悪い。主語が大きいと自分は性別差別をしていないと思っている人は「ムッ」と思っても仕方がないと思う。


そんな人にこそ「学問としてのフェミニズム」に触れることでツイフェミと呼ばれる現象について理解することができるのでは、と思ってやまない