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太田むん、Boys Like Girls、ひがしやしき

 

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太田むん

 

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太田むんとは「いはゅ」さんが作り出したキャラクター。

 

太田 むん
18歳の大学生
一人称/ むん 私
趣味/キノコ探し
誕生日は秋分の日の乙女座AB型
身長は170センチ
出身は福岡県
 
大学に通いながらも歌やモデルとマルチに活躍するタレントです。
ー太田むんのことを知ろう!より

 

性別は男性で肋骨と喉仏を手術で取り除いてる。いはゅさんは太田むん以外にも多くのキャラクターを同じ世界に登場させており、女装をする社会人根津かもめや、太田むんの恋人(ルートによって違うが)、九理男など魅力的なキャラクターが多数存在する。
 
作品は短いページの漫画形式で発表されていながらも、キャラクター一人一人に膨大なコンテクストが含まれていることが察せられ、特に私は太田むんの暗く悲しい背景の雰囲気を背後に感じながら作品を読んでいた。
 
男性として生まれてきながらも、母親の思い描いた理想の生活(女装という外面的なものから、喉仏の切除という文字通り生に根付いた要素まで)を強要され出来上がった、太田むんという人間は悲しいまでに魅力的だった。
 
太田むんの魅力に取りつかれることで、正しく育った人間が正しく魅力的であるという、ある種の規範が欺瞞であることを見透かされたような気分になる。昔から自分の規範意識が破壊されるような創作物を偏愛していたように思う。太田むんもまた人生の破壊者として私の前に現れた。
 
また人生の破壊者という意味でも志村貴子の『放浪息子』を読んでいる感覚とかなり近かったように思う。どちらの作品も性の越境を大きな要素として持っているという表面上の共通点はあるが、それよりも両作品には「薄皮一枚のファンタジーで包まれた世界」とでもいうべき共通点があるように思う。両作品において学校や職場という現実世界の舞台はリアルさを維持しながら、一方で女装や性の越境は半ば世界から認められているもののように扱われる。現実的でありながら性への奔放さには寛容であるという、この世界の居心地の良さは両社の根本にある共通点であるのではないかと思う。
 
太田むんと『放浪息子』は最高なので読んでください。
 
Boys Like Girls

性の越境を話題にした後に「Boys Like Girls」という普遍性のかけらも感じない文章をお見せしてしまって申し訳ない。
 
先日ロックバンドのBoys Like Girlsの曲「Love Drunk」の一節が何年も頭から離れない、という話をTwitterで出した。

そしておもむろにBoys Like GirlsのYoutubeページに飛んでみると、なんと11年ぶりの新曲が10日前に投稿されているではないか。大学の講義をさぼって中古CDを漁っていた時に出会ってから実に8年くらいの時間が経っていた。

 

 

「I used to be love drunk, but now I'm hung over」「Just wanna say I miss you」と縋りつくように歌っていた彼らがイケオジになっていた。PVも暴力と血でまみれており一見彼らは男らしいおじさんになってしまったかのように見える。

 

だがPVをよく見ると彼らは暴力を「受けて」いるのであり、歌詞も「人間は所詮血液と砂糖だ」という諦念はありつつも、女の子にはしっかり振られており(しかも想像の中で)情けなさはまだまだ引きずっているようだ。相変わらずメロディーセンスは抜群でこれらから発表されるアルバムが楽しみだ。

 

ひがしやしき

 

ここ一年くらい聴いているアーティスト。Apple Musicのランダムで偶然流れてきた。ジャンルすらよくわからない。

 

オタクっぽい声で2000年代オタクみたいな歌詞を淡々と歌う彼の曲で何度泣いたかわからない。オタクの切実さが何の装飾もなく歌われている姿に聞くたびに心動かされる。

 

オタクの感傷って文章化されにくいジャンルなんだと思う。主役は作品にあるのであって、それらを消費する主体たるオタクは二次的なものであるというイメージがある。それはオタクが生産者に転身する二次創作においても変わらなくてどこまでもオリジナルになれない主体だ。そういった構造をぶち壊してオタクの感傷を主役として提示したのが自分の中では「ひがしやしき」なんだと思う。ありがとう、大好きだ