哲学の歴史を追う3 この世は不生不滅
ずいぶん間が空きましたが第三回です。哲学史の勉強は何とか続いており現在は何の発展もなかった「暗黒時代」として片づけられる中世の哲学を学んでいます。
今回は順番に沿って神人同形論を批判したクセノパネスや決して無視できない影響力を持つピュタゴラスを取り扱うつもりでした。しかし前者はそんなに書くことがなく後者はのちに大きく取り上げようと思うので、今回はパルメニデスについて紹介します。
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パルメニデスは「無から何か生まれるわけないじゃん。ある、ならずっとあるし、ない、ならずっとないよ」とそもそもの生成や消滅を否定しました。
確かに「無」から何かが生まれるという事は考えられません。ではこの世に唯一存在が許される「あるもの」の性質はどのようなものなのでしょう。これについてパルメニデスは4つの論証を行います。
①不生不滅論証
「あらぬ」ということは基本的に思考の対象とならず、それからの生成を語ることは許容されない。もし生成があるならばそれは「無」から「無」の生成であり生成は意味を失う。生成は先の意味で意義を失うので生成に時間の意味はなくなる。
全時間における生成(そして消滅)の否定は「ある」ということから時間性そのものを奪うことになる。つまり「ある」ものは「あった」でも「あるだろう」でもなく「今ある」という言葉で表される。そしてこの「今」も時間性をはく奪された今、無時間的現在と呼ばれる過去、未来を許容しない「今」となる。
②連続・不分割論証
「あるもの」は不生不滅であるので、時間を超えて全く変わらないと言う。そんな馬鹿なと思われるかもしれないが、これがパルメニデスの感覚ではなく理性を用いた結論なのだ。
非常に分かり難いですが「変化すること」とは厳密に言えば「その一部が生成or消滅すること」と言い換えることができます。しかし①で論証された通り「あるもの」の生成消滅はありえないので不変性と同時に連続・不分割性も論証されるのです。
③不動論証
もとにあった場所を移動することは「あるもの」の性質変化を意味することであり、性質変化は生成消滅を意味するのでありえない。
④完結論証
「あるもの」は生成消滅せず、変化もしないので完結している。
パルメニデスは哲学史上、初めて論理的に物事を考えるという偉業を成し遂げた人物です。その論証は少し難しく感じたかもしれませんが「スイカをいくら半分に切っていっても無くなることはならない」という簡単な視点をもって再度挑むと案外簡単に納得がいったりするのかもしれません。
あとがき
最初は何をいっているのか訳がわからないし、ぜったい何かがおかしいと感じる。しかし、そのおかしさを表現するには論証を理解しなければいけない。
なんとか論証を理解した時にはモヤモヤ感はあるものの何がおかしいのか表現できない。それがこの論証の面白いところです。