マークトウェイン 機械論的人間観
「トムソーヤの冒険」で知られる楽観主義のアメリカ人作家マークトウェインは晩年にとんでもない作品を執筆する。
「人間とは何か?」である。
その中でマークトウェインは老人と青年の対話という形で人間をこう定義づける。
「人間とは自身の幸福をただただ求め続ける機械である。車がその作りに縛られて走ることしかできないように我々人間はそのように生きることしかできないのだ。」と。
私たちは「じゃあ自己犠牲ってのはどうなるんだ?自分を犠牲にして他者を助ける。自己の幸福はどこに行ってしまったんだよ?」と当然反論することができる。
しかしマークトウェインは言う。「もしその自己犠牲をしなかったら君はどうなっていただろう?あの時私が助けなかったばかりに、あの人はあんな結果になってしまった、と何日間もそのことで悩み続け結果助けた場合よりも少ない幸福を受け取るのではないだろうか?」
つまり「人間はその場その場で最も自分が幸福になるであろう行動を選んでいるだけであって、そこに人間の自由は存在しないというのだ」ということになる。
この発想は当然、決定論的世界観をも思わせ非常にペシミティックな印象を与えます。さらに先ほどの論調で反論されれば、ぐうの音も出ないほどに完成された思想という事も出来てしまいます。
このような思想を前に僕たちはどのように立ち向かっていけばいいのでしょうか?一つの方法としては新たな視点を提供することです。
「人間は常に自身の幸福を求める~?それなら人間は自身のどんな行動からも幸福を見出せるっていうひたすらにポジティブな生き物じゃん。イエ~イ」とこんなふうにである。
いずれにしても自由意志に関わってきそうな問題なので書き置いておく。