「科学は本当に正しいのだろうか?」
こんな素朴なようで私たちの生活を根本から覆してしまいそうな疑問がある。普通ならば「お前何言ってんの?」と一蹴してそこで終わりそうなものである。今回のテーマはそんな「我々はいかに科学を信じているのか」というものである。
ここからは分かりやすいように(そして書きやすいように)会話形式で記述していこうと思う。(Aを普通の人、Bを哲学的視点を持つ人とします)
A「何を馬鹿なこと言ってんの?僕たちが普通に生活していること、それ自体が何よりの証拠じゃないか。科学的に外れたことなんて起こっていないし、これからもそうだろう。」
B「ではその科学とやらは、どうしてその正当性を認められているのですか?」
A「実験の反復だよ。そんなに難しい話にしなくても、例えば“手に持ったリンゴを放すと下に落ちる”というような経験の繰り返しで僕たちはそれが普遍的なことだと分かるじゃないか」
B「“100回リンゴを手放したら床に落ちていった”しかし101回目はどうでしょう?101回目にはリンゴが天高く昇って行かないとなぜ断言できるのでしょうか?」
A「だからその100回の積み重ねを経験しているからだよ!“今までもそうだったから、これからもそうだろう”というごく常識的な発想だよ!!!」
B「ではその“今までもそうだったから、これからもそうだろう”という発想はどこから生まれてきたんでしょう?この発想が出てくるためには、それ以前にその発想の根拠が必要ではないだろうか。」
A「???」
B「わかりやすいように図を用意した」
B「つまりこの「?」に入るであろう以前の経験が問題となるのだ。たとえこの?に入る答えを見つけたとしても君はその中身の根拠も探さなくてはならない。つまり同じことの繰り返し。どこまでいっても最後の答えは見つからないというわけさ。これは無限に続く。」
A「つまり科学には根拠があるが、その根拠にも根拠があって~という風に続いていって結局最初の根拠は見つからないというんだね?」
B「そう。つまり科学が必要とする第一の根拠とは絶対に正しい知識ではなく、「もうキリがないからこれにしようぜ~」と決められた謎の前提に従っているものという事ができる。」
B「実際に数学の世界では3つの絶対に正しいと思われる3つの前提を根拠として展開していったユークリッド幾何学というものがあるが、その前提と全く逆のものを利用して作られた非ユークリッド幾何学も正しいという事が証明されてしまっているんだ。いかなる前提でもこの世界は(正しいかは別にして)成り立ってしまうことがあるという事なのだ。」
A「(キモ…)」