「人間は考える葦である」こんな名言を聞いたことはないでしょうか?そう今、人気爆発中の哲学者「パスカル」の名著『パンセ』での言葉です。
人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。
彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。
だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。
こんなカッチョいいセリフを言われたら誰だって「おっ、なんだこいつ」と彼の著作『パンセ」を手にとって見たくなりますよね!!!?さらに
考えることによって、私が宇宙をつつむ
ですよ!!!?「私が宇宙をつつむ」痺れますね。
とX-MENを初めて見た中学生のように興奮した僕は当然のことながら『パンセ(中公文庫、1095円+税)を購入したわけですが…
全然分からない!!!意味が分からないので訳注を参照しようとしますが訳注の意味が分からない。もう八方ふさがりである。
ネットに頼ろうにも欲しい情報は皆無に近いし、Youtubeではパンセ朗読と称した凡人の声が鳴り響く闇が深い動画を見つけてしまった(しかも2時間もある)
こりゃもう参ったとなる手前「そもそもパンセ」ってなんの本だろうと頭によぎった。
その本の「テーマ」「問題提起」「結論」を把握すればその過程を記した本体である「本の内容」も理解できるのでは?と考えたのだ。
そうすると『パンセ』というのはパスカルの「思考のかけら」を彼の死後、友人たちが編集したものだったのだ。(いい友達ですね)
さらにその「思考のかけら」というのは教えを護ると書いて「護教書」執筆のためのメモであり、全部が全部繋がることが想定されていたわけではないのだ。
裏を返せば「全部読む必要も理解する必要もない」のだ。こうなればこっちのもんで、暇なときに詩を読むようにパラッとページをめくり、フフンと理解できる箇所を理解すれば良いのだ。
あの世のパスカルも「このメモは今考えれば全然違うわ!酒で酔ってたんじゃ!」とか思っていると考えられる。
というわけで前置きが長くなりましたが、この記事では僕が気楽に読んだ『パンセ』の中で気に入った項目をピックアップして紹介します。
「あまり多くの、またはあまりに少ない酒。」ーーーーー彼に酒をやらないでみたまえ。彼は真理を見いだせなくなる。あまりに多くても同様。
「いきなり酒の話か」と思う方もいるかと思うが、これはパスカルの友人たちが編集したのと同様、僕も恣意的にこの構成にさせてもらった。
しかし、この「酒」についての記述は大いに同意が得られるものだと思う。適度に酒を飲んだ時のあの真理を求める脳の回転は一体なんなのでしょう。理性がスルリと抜け落ち新たな観点が生まれているのでしょうか。
われわれの想像がその思考のなかに自分を見失ってしまうということこそ、神の万能について感知しうる最大のしるしである。
冒頭に紹介したパスカルは人間の「考える力」を称賛し、また重要視する人間賛歌を目的とした自己啓発本のような立場をとっているかのように見える。
しかしパスカルは語りかける。「この世で最も小さなものを提出せよ」と。ダニ、そのダニの足、その血管、その血液、さらなる分割は続きこれが「この世の最小」と思われるものー現代でいうのなら素粒子?ーを提出する。するとパスカルは「私はその中に新たな宇宙を見出し、その宇宙にまたダニを見出す」と言うのである。
なにいってんだこいつ、と思われるかもしれないがMan In Blackのラストシーンーカメラが地球から遠ざかりやがて宇宙全体を捉えるがそれでも収まらず遠ざかっていった先では宇宙(球体)をボールにして遊んでいる宇宙人が映るーを思い出していただければわかりやすい。
つまり最も大きいものも、最も小さいものも認識しようがない、という人間の理性の不完全さを証明してしまっているのだ。カントのアンチノミーに似ている。
更にパスカルは「そう考えるとお前の体ってのは宇宙でできてるんだぜ?茫然自失するがよい」と煽ってくる。
「我々は無限であり人間はその無限の中では決して真理を知り得ないという絶望にある。だから限度をわきまえよう」
それは思考停止ではないのだろうか…?
「どうあがいても絶望」という有名なキャッチコピーがある。そんな状況が他でもないパンセから突き付けられます。パスカルの出した答えは本当にこんな救いのないものなのでしょうか?次回、さらに深く読み込んでいきます。