Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

終物語 真面目な感想

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物語シリーズの一応の終わりである終物語を見ました。ネタバレ当然有り。

 

物語シリーズとは、非常に冗長な会話シーンを、不可思議な背景でお送りすることを主とするアニメです。会話が主というのは珍しいもので、その人気には魅力的なキャラクターの存在が不可欠でしょう。

 

僕自身もそのキャラクターの魅力に引っ張られたというケースです。物語シリーズというのは作者が自由に書いているだけに面白さの振れ幅が大きいのです。

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終物語ではそのかわいいほっぺを晒すのに出番をとどまった斧乃木余接ちゃん。大丈夫、彼女が主役の続編は既に書かれている。

 

さて、後日談というか今回のオチ、は主人公アララギくんの「自分を大切にする」という形での成長を描いているということになるのでしょう。

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「自己を罰する自己」を作り上げるという自己乖離、それこそが忍野 おうぎでした。物語シリーズというのは普通の人間ならば語り足りないと感じる箇所を放置していました。

 

「羽川さん可哀想じゃない?」「なでこはあれでいいの?」「結局しのぶと馴れ合ってるじゃん」

 

そんな引っ掛かりを語らずにきました。それはそうです。この物語の語り部はその取っ掛かりを誰よりも強く感じる「阿良々木暦」なのですから。

 

換言すれば語られなかったアララギくんの思いこそが「忍野 おうぎ」として具現化したのです。自業自得というか当然の成り行きというか。

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認知されなくなった怪異は存在しないのと同じように、語られなかった物語は闇の中に消え去ります。

 

阿良々木暦が語らなかった「忍野 おおぎ」が暗闇に呑まれるのはごく自然なことなのです。

 

しかし、いえ、だからこそ阿良々木暦は「忍野 おおぎ」という怪異を救います。それは「自分を救う」「自分の物語を救う」ことと同義だからです。

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これが終物語における、そして物語シリーズにおける「自分を救う阿良々木暦」という終わりなのです。

 

最後に。やはり、というか実は学園モノ。卒業式という舞台装置はこの奇妙で歪な物語をキッチリ締めてくれました。 おめでとう!

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宗教のことは嫌いになっても、神のことは嫌いにならないでください

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タイトルに反して固い内容であるよ。長くなったので最初に流れを書いておきます。それを読んで気になった方は続きをご覧ください。

 

1、私たちが無宗教である理由

2、私たちが無神論者である理由

3、1と2が実は繋がっていないという事

4、神が存在する理由

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モーレツに教会に行きたい

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想像上の教会(歌って踊れ!)

 

キリスト教を信じ始めたわけではありません。このまえ花火大会で4人くらい見たし。これには次のような理由があるのです。

 

それはズバリ「哲学の理解のため」です。哲学史を順に学んでいて痛感したこと。それは「哲学の発展と宗教が切り離せない」ということです。
 
というのも中世辺りの哲学者たちは神学を学びそれを土台に思想を練り上げます。そうすると、その哲学者に影響を受けた次世代の哲学者の思想には、また宗教の要素が入り込んでいます。これが積み重なった結果、現代日本でぬくぬく育った僕にはどうしても文章だけでは理解できない部分が出てくるのです。
 
教授に聞いても「肌感覚の問題」と切り捨てられますし……

 

 そこで実際に肌で触れてみようという事です。なぜこんな記事を書いたのかというと正直、自分が急に宗教に目覚めることが怖いからです。世間的には哲学にハマることと大差ないんでしょうが。次の記事では哲学にはまることと宗教(厳密には神学)にはまることの違いを哲学擁護の意味を込めて説明しています。では

形而上学 教授に聞いてみた

教授と話していて神とか始原的な話になったので、この機会にいろいろ聞いてやろうと特に興味がそそられることや疑問に思ったことを投げかけてみた。

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ブルーノがキリスト教をボコす

f:id:AnnieAreYou:20170713015501j:image日記的なものです。哲学史古代ギリシャから順に学んでいるのですが、その日学んだ知識の量が多かったり、不明瞭な理解があった場合にはここに書き散らそうかと思います。

 

ブルーノは喜劇作家の顔を持つ放浪哲学者です。と言っても好きで放浪していたわけではなく、キリスト教に異端をかけられて逃げざるを得なかったようです。最期は自説を撤回せず火刑にかけられています。かっけえな。

 

汎神論といえばスピノザの名前が挙がりそうですがブルーノも汎神論的な傾向があると言われています。汎神論というのは日本的な自然観にも重なるところが見られる考え方で自然は全部神様だ、という考えです。魑魅魍魎というのが日本ではその発想に基づいています(あと『トイレの神様』みたいな歌も)。

 

この考え方は実は宇宙論に基づいています。この理由を説明するには天動説の説明からしなくてはなりませぬ。 f:id:AnnieAreYou:20170713015722j:image

天動説というのは地球を中心に星(辰)が回っているという説です。ここでキリスト教事情が出て来ます(「!」シュババババ)

 

キリスト教にとって天動説というのは重要な教義と重なる要素なのです。大事なのは「地球が宇宙の中心である」ということです。

 

これは勘違いしそうな箇所なのですがキリスト教は何も「地球がナンバーワン!」と言っているわけではありません。むしろ「地球は全宇宙のカスが集まっているものだ!」という主張です。

 

これによってどう都合が良いのかというと「地球における生ってのは下劣なものだから、そこから救われるために入ろうキリスト教!」と言えるのです。最初から救われていればキリスト教なんか要りませんからね。

 

この「宇宙の中心は地球だ!」という天動説をブルーノは地動説を越えて(一応参考にはしている)「宇宙は無限だから、そもそも中心という概念は通用しないよ」と批判するのです。宇宙が無限である根拠としては神が無限の存在であるからです。(ここは前提的なものなので飛ばします)

 

この「無限の宇宙」という考えによって地球は最底辺の地位を脱しキリスト教の必要意義は破壊されるのです。

 

さらにコロンブスの新大陸発見によって、これまたキリスト教の重要な教義である「単一起源説」が危うくなります。 f:id:AnnieAreYou:20170713015818j:image

単一起源説とは人類はアダムとかいう「原罪」を背負った戦犯を祖先に持つのであり、だからこそ救済されなければならない、という教義です。

 

原住民との接触によって「どう考えても祖先ちゃうやつやろ」となったブルーノは複数起源説(それぞれの民族にそれぞれの起源がある)によってキリスト教を基する西洋文化全体を批判したのでした。

 

別にキリスト教のことなんか興味は無かったんですが哲学史上、イヤでも目につかざるを得ません。中世の哲学というのは神学が前提(というか神学がメイン)なのでキリスト教の教養のない僕みたいな日本人には誤謬の時代としか思えません。 f:id:AnnieAreYou:20170713020109j:image

しかし、キリスト教を全否定したブルーノでも神の存在は疑いません。これはどういうことなのでしょう。そこのところをいつか掘り下げて見たいですね。

ルターによる教会批判の誤理解とご理解をお願いします

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ちなみに答えは「リンゴの木を植える」です。RADWIMPSにそんな歌がありましたね。ウエヨオオオ↑

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藁の楯 普遍的な悪としての殺人


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金曜ロードショーで最近やっていたのを見ました。内容としては殺人の被害者遺族が10億という大金を犯人にかけ日本中が殺人犯の敵となるというものです。殺人犯の警護にはSPを含む5人が当てられ彼らの殺人犯移送の過程が展開されます。

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