因果律の否定について
まどマギ12話のまどかの願いは結果的に「因果律そのものに対する反逆だ」とQBに言わせせしめました。(界隈では「因果」と「因果の糸」という用語が異なる意味で飛び交っているようです。哲学用語じみてて面白いです。)
しかし、京都学派で有名な西田幾多郎は哲学的な視点から「因果律」に対する反逆を論じています。
西田の哲学は「体とは別に心がある」という発想を切り捨てる大胆なものです。つまり体も心も本当は実在しないと言うのです。では何が実在するのか?それは「意識」です。意識のみが唯一存在するものと考えた時、自明と思われる「因果律」は後手に回ります。
この説明だけでは意味不明なので簡単な例を出します。
1、物体Aが物体Bにぶつかる。
2、物体Aが動く。
この繰り返しを意識は認識し物体Aが動くのには物体Bという原因があるという「因果律」なる仮定を形成します。つまり、意識があって初めて「因果律」という仮定が生まれるのです。
さらに、因果律を世界形成のシステムに組み込むことは原因の無限遡求という不具合を生じさせます。不具合を含む原理は不完全であると断じられます。この無限遡求を解消する手段として西洋においては「神」の概念が導入されます。
一方、西田は先ほどの「意識」を原点としておきます。「意識」においては「因果律」がまだ仮定されていないので無限遡求を断ち切れるというわけです。
神を必要としない世界形成論というのはいかにも日本人らしい考え方ですね。