Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

人間と機械は何が違うの?自由意志の危機と再確立への展望

f:id:AnnieAreYou:20161009024451j:plain哲学を語るうえで知識どころか前提の理解も十分にできていない、ということは今までの記事にて確認できてしまうと思います。

しかし積年のブログ人生によって培われた「書きたい、論じたい欲」というのは赤子のオギャアのように抑えきれず出てきてしまうわけです。「間違ってるかも、批判されるかもという恐怖」にも何食わぬ顔で打ち勝ってしまう自分の厚顔無恥さに呆れるとともに「やるからには成長したい」という当然の欲求もあります。

 

そこで今更の自己紹介という意味も併せて自分の関心がある哲学的分野の問題とそれに対する立場を表明させていただきたいと思います。つまりこのブログ全体に「恐縮ですう…」「個人的には…」という大変謙虚な文脈を付加させるとともに自身の方向性を明文化することで知の成長を促すという大変高貴で有意義な記事を書きます。

 

そりゃあ「昨日の自分は今の自分ではないし明日の自分についても同じ」でありますから関心や立場はコロコロと変わることは前提としたいと思います。そのときは今記事を更新するなり「僕の関心と立場 〇月号」なる記事を書いたりしたいと思っています。

 

では以下より本題

自由意志は存在し得るか 機械論批判

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自由意志の定義

 自由意志(じゆういし、英語: free willドイツ語: freier Willeフランス語: libre arbitreラテン語: liberum arbitrium)は、他から束縛されず自らの責任において決定する意思[1]。言い換えれば、行為者の自由意志のこと。

 

私たちは日常生活において「自分の行動は全て自分の意志によって決定している。そこに何者の介在もない。よって私は自由である。」と論理的に示すまでもなく実感しています。

 

しかしそこに飛び込んでくる問題はそんな私たちの「人間のアイデンティティ」とも呼べる大切な認識を破壊してしまいます。そうそれが機械論的自然観です。

 

機械論の定義

機械論(きかいろん、: Mechanism: Mechanizismus)は、天候や地形、生命などの諸々の自然現象を、精神意志霊魂などの概念を用いずに、その部分或いは要素の決定論的な因果関係のみ、特に古典力学的な因果連鎖のみで、解釈でき全体の振る舞いも予測できる、とする立場。

 

この立場によるとこの世のすべては全くの機械であって一切の出来事は予想可能であるという仮定を持ちます。それは人間も例外ではなく私たちが「自分が考えて自分が行動している」と思っていることは既に決まっているレールの上をただ歩いていることになります。機械がその仕組みより「そうせざるを得ない」ように人間には一切の自由が認められないことになります。

 

何言ってんの?という反応は当然のものであると思います。そこで以下ではこの立場の説明を試みてみます。

 

ところで私たちは呼吸を「口または鼻孔から酸素を取り入れ、肺まで到達させ肺の毛細血管で取り込み~かくかくしかじか二酸化炭素を排出する」という働きと理解しています。この働きを「身体の働き」とすることには何の抵抗もないでしょう。

 

これを一歩進めて「身体という機械の働き」とすると少し抵抗が出てくると思います。しかし人口心臓や義足の例を見てみますと完全とは言い難いものの機能を代替できているという事実がありこれは認めざるを得ません。つまり「身体=機械」です。ここまでは何とか納得できるんではないでしょうか?

 

最後にこの話の核心部分です。私たちの「意志」を作っているのはいったい何なのでしょう?魂?精神?それとも超自然的な何かでしょうか?機械論の前にそんな根拠は全て無に帰します。

 

私たちの「意志」を作っているのは心臓や肺などと何も違わない「身体」です。

 

「意志」は脳の働きなしでは説明できず、また生成もできません。もっと踏み込んで言うと私たちの意志は「身体」によって作られているのです。

 

そしてつい先ほど述べた通り「身体」は「機械」とイコールで繋がっています。ここで機械論(機械論的自然観、機械論的唯物論、人間機械論)は完成します。

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この立場は人工心臓の例から垣間見えた通り技術の向上した現代だからこそその説得力を強めています。事実、人間の行動はニューロン発火だとかいう現象によって脳が決定を下しているという研究が盛んにおこなわれています。

 

そして存在するかも判然としなくなった「人間の尊厳」を守る、もとい再確立するために機械論を批判し人間の科学に対する勝利を掴むというのが僕の立場です。

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上の画像は一応は自分なりの自由意志の(再)確立のモデルです。ifという文脈が多分に入り込んでいるので到底完ぺきとは言えませんがとりあえずの展望ということで。

 

以上が僕の問題とする哲学的問題とそれに対する僕の立場の1つ目でした。関連するご意見や書籍などありましたら是非ご教授お願いします。