Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

やはりネットにおいて他人の意見は聞くべきではないのか

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ネットの海に溺れながら生活する現代人。そこで出会う人たちも大体は溺れているか漂流している。たまに大局に立って陸地から我々を見下ろす人たちもいるがこれは僅かだろう。

 

そんなネットの波に翻弄され続けながらも我々は同じ漂流者とコミュニケーションを取ることがある。たまたま同じ趣味の情報に流れて来たり、同じ主題に対して異なる意見をぶつける場合である。

 

しかしこのコミュニケーションはほぼ必ず失敗する。対話を始めた場所は極めて不安定で次の瞬間対話相手が消えて(ログアウト)しまう可能性が常につきまとう。

 

さらにこのネット上での私や相手には個人的な情報が圧倒的に足りない。対話をする上で相手を知ることは会話の前提を知ることに他ならない。

 

そんなスカスカな状態の我々の刹那的なぶつかり合いを果たして対話と呼んでもいいものだろうか?「他人の意見を聞くべきではない」という主張はそもそも対話が成り立たないという事実に基づいている。

 

そんなこというと読書なんかは作者との一方的な対話という性質あってこそのものだが、それも無効なものなのか?とか、そもそも面と向かっての会話でも原理的には全く違わないじゃないか(他人を100%理解することはできないじゃん)、という素晴らしく哲学的に突き詰めた反論が予想されるが、やはり現実的には折り合いが必要である。

 

ソクラテスに始まりニーチェに終わる哲学史の中でならここで「神の存在や素晴らしい人間理性」という超越的な概念を無理やりぶっ込みます。

 

現代はというと……勉強中なので、暫しお待ちを。