プラトンにムカついた、すべての人へ
人差し指である。くれぐれも間違えないように。
プラトンを学んでいるとむかっ腹が立ってしょうがない。それは想起説やイデア論にみられる理想主義的な思想によるものではない。楽観主義に倒れこむには至らない論理がそこには認められるからだ。
それではソクラテスの処刑時に「病気になっていたから行けなかった」と自分で弁明していたことだろうか?これも違う。別に嘘でもいい。
それでは何がプラトンを学ぶものに対してこれほどまでに怒りを覚えさせるのであろうか?それはプラトンが自分の思想をソクラテスに語らせることにある。
ピュタゴラス学派のアルキュタスに哲人王の面影を見たり、後に(望まない形であれど)それを実行する国となるシュラクサイを渡り歩いた彼の40歳(推定)までの旅はソクラテスの影を振り払うには至らなかったのだろうか?
ここではプラトンの著作スタイルの分析により彼の真意を探る。
プラトンの著作は『書簡集」と『ソクラテスの弁明』を除けば対話というドラマチックな(物語的と言っても良い)方法で描かれる。哲学の著作といえば小難しい淡々とした論理を積み上げるものが予想されるがプラトンはこれに反している。
むしろ読みやすいものとなっており、現代でもその内容の哲学性にも関わらず『嫌われる勇気』などが対話形式をとって大ヒットしている(ドラマはシラネ)。
プラトンが対話形式を取った最初の理由としてはそのままのソクラテスを後世に残すことが考えられる。ソクラテスは著作を残さなかった。
作中のソクラテスは一貫して「〜ってなんなの?」と、からとぼけをかまし続け結論が近づいても「でもやっぱり分からないよね」と対話を打ち切る。
対話篇を用いるのには2つの意味が推測される。1つは「無知の知」を超え出でないソクラテス思想を語るソクラテスを描くこと。2つ目は生前のソクラテスを描くことによって彼が言わんとしたことをプラトン自身が探り当てる追及の場とすることである。
2つ目の意味には少し説明が必要である。それはソクラテスが著作を残さず対話を続けた理由にある。ソクラテスが著作を否定したのは「知というものは対話によってしか伝達されないし、対話によってしか自身の内に現れない」と考えたからである(とプラトンが考えたからである)。
確かに対話篇も実際の対話ではないことには違いない。しかし実際の知の発生に最も近い形式をとったことに意義があるのであり、プラトンが対話篇を用いた説明にはなっている。
そろそろプラトンの真意が見えてきたのではないだろうか。プラトンは何も自分の意見を権威あるソクラテスに語らせようとしたのではない。ソクラテスが考えたであろう思想を受け継ぎ発展させ、それを当然ソクラテスの所有物として表しただけなのである。
この表現だと誤解がある。彼らが考える「真理」というのは1つしかない、万物に適用されそれが存在することで全てが可能となっている圧倒的なものである。
だから数学の法則のように自分の名前をつけることなど考えないし、そもそも誰の所有物とも思っていない。真理は普遍的なものであり「〜にとっての真理」などはあり得ないのだ。
つまりプラトンの対話篇とは真理に対する純粋な信念と師が真理への道を託したという信頼が堂々たる姿で描き出された熱い男の生き様に他ならない。
むしろ露わになったには私たちの真理への疑いではないだろうか。ごめんなさい、プラトン。
まあその結果長きに渡る哲学史に一本の軸を備え付けた超越的な存在を生み出してしまうのだが、それはまた別の話。