青菜に塩の反対ってさ
さて、みなさんは青菜に塩の反対の意味を持つことわざは何だと思いますか?正解は「水を得た魚」だそうです。
「青菜に塩」は良い状態から悪い状態への移行を、「水を得た魚」は悪い状態から良い状態への移行の意味を持ちます。
このように文字で説明されると理解せざるを得ませんが正直「納得」はしたくないような微妙な心境になりますね。
この言いようもない不快感は一体何なのでしょうか。考えてみました。そして、その答えとは!「青菜に塩」が「水を得た魚」よりも高位にある言葉であると感じるからです。
「青菜に塩」というのは対象物を青菜という塩をかけられると水分を失いしおれる物として表現する謂わば比喩をうまく利用したことわざなのです。
それに引き換え「水を得た魚」の発想の貧弱さよ。対象物を魚に例えることは「生き物」から「生き物」への比喩だが、もうそれを使用する意義が見つからず「人間」と表現してもなんら印象は変わらない。さらに「水を得た魚」て!!!そもそも魚は水がなければ生きることはかなわない。そんな魚が肺呼吸を強いられる地上にいったん土俵を置いて、その後、水に帰り生還を果たすなんていうシチュエーションがそんなに、この世の中にあり得るだろうか。というか少なくとも日常的ではない。
というわけで「青菜に塩」と「水を得た魚」は釣り合わないので対義語とは思いたくない。以上
あと最初の画像はミスとかではなく趣味と意義を兼ね備えている。