Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

アメリカンサイコ 安易な「妄想だった」説を今一度考える

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 「イケメンでインテリで金持ちな完璧男。しかし心の奥底には殺人衝動という闇が広がっており徐々に姿を現してくる。」

 

今作の作品紹介はこんな感じであった。

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140文字で「語り得ないものについては沈黙しなければならない」

 

とりあえず最近読んだ本に影響されて一つ。140文字の制限というTwitterの性質は英語を基に「一言呟いてもらおう」と考えられたものである。それゆえ日本語によるTwitterの使用は言語の性質上、全く違ったものになり得る。日本語は英語に比べて少ない文字数で物事を表現できるのだ。それは「いかに短い文字数で複雑なものを説明できるか?」というチャレンジ精神を盛り上げる。

 

Twitter嫌いを公言しているならツイートなど貼らずに140文字をここで打てばいいではないかと思われるかもしれないが、やはりモバイルな利便性の魅力には勝てなかった。あとブログの宣伝にもなりそうだし。

 

勘違いしてもらいたくないのは別にブログのアクセス数が欲しいというわけではない。本音を言ってしまえばコメントをしてくれる人が欲しいのだ。深い哲学的知識を持っている人から純粋な初心者まで疑問に思ったことや指摘したいことをコメントにのせて送って欲しいのである。そのためにはやはりアクセス数が必要なわけであるが。

 

それと側面的な理由ではあるが文を書くキッカケを作りたいということもある。一度書き出してしまえばこの通りいくらでも簡単に書ける気になるが、やはり書き始めるのには多大な労力を使う。

 

以上

ゲームに飽きたという事実

幼稚園児の頃からゲームに親しんでいた。今では全く名前も思い出せないし検索してもなかなか出てこない本のようにめくれる性質を持ったゲーム機で遊んだウルトラマンのゲームが最も古い記憶である(対戦モードがあってやたら怪獣が弱く設定されている)

 

そこから数えると十数年ゲームを遊び続けてきた。高校生になるとゲーミングPCという底なし沼に嵌った。スクリーンショットが撮れるゲームプレイの作品化という一面にいたく惹かれ、それをさらすことを目的にブログを始めた。

 

その頃がゲームに夢中になったピークでありゲームのない人生などおよそ考えられなかったし、同じくそれに飽きることも考えられなかった。

 

進化し続けるグラフィック、他媒体では表現できない能動的な参加が不可避という性質、素晴らしい多様性。こんな善いものは他にないと思った。

 

しかし急激にその熱は冷めていった。大学に入学して時間を持て余して気がついた。ゲームが楽しかったのは日常生活の多くが占める勉学がつまらなかったせいなのだと。勉学という能動的に為さざるを得ないものに変わってゲームプレイを摂取していたのだと。

 

確かに完全にゲームをやめたわけではないが習慣と呼べるものはほぼ無くなっていった。一週間もPCに向かわないことはざらである。

 

それに代わって楽しいと思えることは高校の頃にこれだけは積極的に学べたと言える「哲学」であった。こんなに非生産的で生産的な趣味、勉学、暇つぶしは他にない。

 

考えても考えても終わりがないし進んでいるかも正直保証はない。しかし他人の意見を理解しそれに批判精神を向けた時に新たな発想、思想が発現するのはこの上なく楽しい。

 

いつかこの哲学に飽きる時も来るのだろうか?という問いに今は自信を持って答えられる。YESであると。しかし突き詰めてみたいと思うのもまた現在の私の気持ちである。私が哲学に飽きるその前に。

プラトンにムカついた、すべての人へ

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人差し指である。くれぐれも間違えないように。 

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やはりネットにおいて他人の意見は聞くべきではないのか

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ネットの海に溺れながら生活する現代人。そこで出会う人たちも大体は溺れているか漂流している。たまに大局に立って陸地から我々を見下ろす人たちもいるがこれは僅かだろう。

 

そんなネットの波に翻弄され続けながらも我々は同じ漂流者とコミュニケーションを取ることがある。たまたま同じ趣味の情報に流れて来たり、同じ主題に対して異なる意見をぶつける場合である。

 

しかしこのコミュニケーションはほぼ必ず失敗する。対話を始めた場所は極めて不安定で次の瞬間対話相手が消えて(ログアウト)しまう可能性が常につきまとう。

 

さらにこのネット上での私や相手には個人的な情報が圧倒的に足りない。対話をする上で相手を知ることは会話の前提を知ることに他ならない。

 

そんなスカスカな状態の我々の刹那的なぶつかり合いを果たして対話と呼んでもいいものだろうか?「他人の意見を聞くべきではない」という主張はそもそも対話が成り立たないという事実に基づいている。

 

そんなこというと読書なんかは作者との一方的な対話という性質あってこそのものだが、それも無効なものなのか?とか、そもそも面と向かっての会話でも原理的には全く違わないじゃないか(他人を100%理解することはできないじゃん)、という素晴らしく哲学的に突き詰めた反論が予想されるが、やはり現実的には折り合いが必要である。

 

ソクラテスに始まりニーチェに終わる哲学史の中でならここで「神の存在や素晴らしい人間理性」という超越的な概念を無理やりぶっ込みます。

 

現代はというと……勉強中なので、暫しお待ちを。

イミテーションゲーム 唯物論への入り口

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今回の記事は視聴直後の感想書きなぐり、というスタンスを取る。正確に調べる必要がある情報や概念についても触れるので、見解がふわふわしていたり、論理の導く先が間違っているかもしれないが、そこはご勘弁を。

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哲学の歴史を追う2 無限への道

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前回は哲学の発生という原初的なテーマを見ていきました。文字の発生によって生まれた自我が知的好奇心を宿す。それが哲学の発生でした。

 

今回はテンポよくミレトス学派の自然哲学者たちを見ていきましょう。彼らはミレトス学派とは別の分類であるイオニア学派にもあたる人物たちです。ミレトス学派がミレトス出身の学派ならばイオニア学派は万物の根源(アルケー)を規定して世界を考えた学派となります。

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