Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

「まんがで読破」は前後どちらが有効か

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最近時間ができたので本をよく読む。やはり読むなら名高い名著だろうと「誰でも名前だけは聞いたことがある作品」を基準に読んでいる。そうすると自然にこの「まんがで読破」シリーズとチョイスが被る。ということで原作と漫画版どちらも読んでみた感想を述べる。いずれも、原作→漫画の順だがニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」が旧字体などで構成されており難解だったためこれは漫画→原作の順に読んでいきたい。これは後に追加する所存。

「ヤク中の話」とよく聞く作品で確かに重要な要素に思うが、その表現は的違いだろう。太宰治は作中の葉蔵の表向きのようにサービス精神旺盛な作家であり葉蔵のように自殺を図り葉蔵のように薬に溺れ、騙され病院へ入れられる。太宰治を知る人間ならなんのこともない話だがこれは「太宰治自身の話」である。人間は何のために生きる、という我々が無意識のうちに避ける問題を前面に出した超挑戦的な作品である。皮肉なのが人間を理解できない者が人間の心理に迫る疑問を持ってしまったことだ。

人間失格を書き上げた太宰治は愛人の山崎富栄と共に自殺を遂げる。人間失格の連載中からの噂が現実となってしまった訳だ。遺書には「小説を書くのがいやになったから死ぬのです」とあるが、自殺の事実は太宰治が「これが俺の答えだ!」と言い河童と芥川龍之介と一緒に手招いているのを私に想像させた。

漫画版

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なんだこの親和性…

まず気になるのは作画だろう。原作で葉蔵は色男と形容され漫画版でもその特徴は反映されているが自分の主観であるがかなり現代風な優男という印象で想像をズラされた気も序盤は感じられた。

漫画のアイデンティティーであり一番の利点である視覚に訴える表現は素晴らしい形で利用されている。例えば葉蔵が幼少期に描き友人の竹一(「ワザ…ワザ…」の子、カイジの前身)にだけ見せた「邪悪な絵」は凄まじい説得力を持つ形で描かれただけでなく後半の伏線にもなっている。

ただ原作中ではぼかされている表現(想像でなんとかなる程度の)がいやに丁寧に描かれていたり、走馬灯であるかのようなテンポはしょうがないとはいえ違和感を覚える。

この作品に関しては原作→漫画の順をオススメしたい。良くも悪くも漫画版は絵という一面的な媒介で描かれたものであるから多面的な解釈の発生は期待できない。原作を読んだ後に「こんな解釈もあるか」というのがより生産的だと考える。