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でびっち追悼配信分析 恐怖とでびでび・でびるの実在

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2020年2月7日23時、予定を一時間遅らせて、でびでび・でびる(敬称略)のチャンネルで「でびっち一周忌 追悼特別番組」が放送された。そも、でびでび・でびるとは何ぞやと思われるかもしれないが、そこはこの記事の前提知識として持っていることを想定して書く。「でびっち一周忌 追悼特別番組」の感想とその分析を行うのが主眼である。考察ではない。

 

感想という形をとるが心情としては批評に近いものがある。なぜなら今回の放送は「作品」と呼ぶのにふさわしいものだったからである。

 

前半 非実在と実在の展開

この放送の前半はでびでび・でびるがちょうど一年前に生み出した「でびっち」というキャラクターをふざけ半分で追悼する、という形式をとる。そこでは「でびっち」はおもちゃのようにからかわれ、ネタのダシにされ、徹底的に「現実には存在しない創作物」として扱われる。

 

リスナーの私たちも「でびっち」を共同の幻想のように扱い、その実在性はしだいに薄くなっていく。牛の乳を搾り、中世騎士になり、身バレスレで自演して、ライブ(ドッキリ)で泣くでびっちは二次創作じみてくる。

 

しかし、続く「でびっちの素顔を語る」という追悼コーナーでは様々なVがそれぞれの「でびっち」を語る。そこには一年前の当時には存在していなかった人間も平然と登場する。存在しなかった者が存在しないはずの人間を語る。存在しないはずのエピソードを語る。次第に創作物・非存在であったでびっちに肉が付いてくる。

 

(ここで私たちはこのコーナーが「でびっち」に実在性を与え、でびると会話する「門」を開ける儀式だったのではないかと疑いたくなる。架空のでびっちに付された追悼の言葉たちは「あっちのでびっち」と「こちらのでびる」を繋げるのに一役買ったのではないか)

 

ここででびっちに二つの性質が付与される。一つはでびでび・でびるによって二次創作じみた「創作物」としてのでびっち。そして様々なVによる当人自身にとって「実在している(かのような)」でびっち。「非実在」「実在」という相反するでびっちが二つのコーナーによって生み出される。そして放送の後半、二つのでびっちは同時に裏切られる。

 

後半 裏切り

放送の後半でびっちがでびでび・でびるとSkypeを通して会話をし始める。「非実在」であったはずのでびっちがでびると自然に会話をする不自然な現象が起こる。ここで「非実在」としてのでびっちが否定される。

 

一方そのでびっちは様々な人間に語られ弔われたように死んではいないことを主張する。「でびっちぃちょう生きてるからぁ!」(39分48秒頃)。「実在」していたと(仮定して)生前を語られたでびっちもまたここで否定される。

 

前半で構築されたでびっち象に適うでびっちはここですべて否定される。

 

ではいったい今話しているでびっちは一体なんなのか。しばらく話してでびるはそのでびっちが何なのか見当をつけ放送を終える。一方でびっちの放送は続く。しかし、突然画面が暗転しでびるの声が聞こえ、そして何か不吉なことが起き放送が終了する。

 

放送を通して私たちは何を“実感”したのか

私がこの放送を見終えて最初に感じた感情は恐怖だった。なぜなら「実在しない架空の存在」と思い込んでいたでびっちが現れ、さらにはそのでびっちが「実在したとしたら…」と仮定して語られたものとは似ても似つかない存在だったからだ。

 

しかし、この放送で最も強く感じた感情は恐怖ではない。恐怖ではなくその恐怖の原因を作り出した「でびでび・でびる」の実在感である。「でびでび・でびる」はバーチャルユーチューバー(厳密にはバーチャルライバー)であり、その名の通り仮想の存在である。バーチャルユーチューバーは存在の基盤が危うく、現実の存在と比べると実在感が薄いという特徴を持つ。

 

だがこの放送では「でびっち」というフィクションが「でびでび・でびる」というフィクションの掌の上で登場する。実在の私たちが非実在のバーチャルユーチューバーを見る時のように、でびでび・でびるがでびっちを見下ろす。この二つの構図において「私たち」と「でびでび・でびる」の存在する場所が重なる。でびるが「バーチャルYoutuberを見る私たち」と同じ位置を占めることで、でびるの実在性というものが強烈に実感される。

 

上位の存在から下位の存在へと振り下ろされる「恐怖」という装置によって、でびでび・でびるは、でびっちに対して圧倒的に上位の立場に立つ。

 

本来でびるは「バーチャルである」という点においてでびっちと同様の立場にあるにも関わらず、この両者には明確な実在性の上下関係が生まれる。

 

この関係は「バーチャルを見る私たち」の構図と重なることで、私たちにでびでび・でびるへの強烈な「実在感」を感じさせる。これが私が考えるあの「恐怖の配信」のもう一つの側面であると考える。

 

この放送を見終わって初めて僕たちは「悪魔は実在するのか?」という疑問に明瞭に答えることができるようになる。