Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

人は真夜中に飲み会を抜け出すと「おばけ」になる

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2019年年末のある日の夜、僕は飲み会がつまらなさ過ぎて途中で離脱し街をさまよっていた。真夜中の午前二時、家に帰る手段はない。冷たい風と雨をしのぐため静まり返った街を歩く。しばらく滞在できる場所を探しているとだんだんと二つの事実に気が付いてきた。

 

事実1

一つは真夜中の公共空間に無料で滞在できる場所など存在しないということだ。駅の中は封鎖され、コンビニエンスストアのトイレは貸し出されず、公衆トイレの入り口は施錠されている。唯一施錠されていない公衆トイレを見つけたが電気が通っておらず真っ暗闇の中を始発まで耐えるというのは難しかった。

 

事実2

二つ目は僕以外にも始発まで何とか時間をつぶそうと街をぶらついている人がいるということだ。彼らは雨だけはしのげる建物の下にいたり(もちろん屋外だが)、薄い屋根があるバス停で震えながら朝を待っていた。

 

それでは僕はどのようにして朝を待ったのか。結論から言えば「証明写真の機械の中で映画を観ていた」と言うことになる。証明写真の機械はご存じのように天井によって雨をしのぐことができ、足元は心もとないが割と分厚いカーテンが装備されていて冷たい風を防いでくれる。10秒ごとに「金を入れろ」といった趣旨のセリフが抑揚のない声で繰り返されるという大きな欠点があるが、行き場のない僕にとっては砂漠の中のオアシスのような存在だった。

 

ここで「証明写真の機械の中で映画を観る」という状況を客観的に、少し距離を置いて考えてみよう。

 

「怖い」

 

これに尽きる。なぜ「怖い」のか。それは理由が全く分からないからだ。こんな真夜中にポツンと置かれた証明写真機から足がのぞいている。機械からは絶えず「金を入れろ」と声がし、中の人物は微動だにしない。これまで述べてきた僕の状況を知っていれば案外納得できるかもしれないが、そんな前提が共有される道理は普通ない。

 

人は自分が理解できないものを見た時「名前」をつけて安心を得ようとする。それは「人面犬」とか「口裂け女」とかの固有名詞でなくても「幽霊」「お化け」と大きな概念でくくることで可能である。僕は「証明写真の機械の中で映画を観る自分」を客観的に見た時、自分自身を「お化け」やそれに類する怪異と名づけることが可能であることに気が付いた。これが僕が雨の夜に考えた「お化け」の正体であり、その仕組みでもある。

 

このように考えるとここでの「お化け」とは証明写真の機械の中で映画を観る人のような、ある種の「常識」から逸脱して行動する人間の事であると言うことができる。つまり「お化け」とは実は「人間」に他ならないのだ、と。

 

この結論は事実1と2とを勘案すれば割と説得力を増すかもしれない。第一に事実1は僕と同じような状況に人が陥れば同じような行動をすると考えられるからだ。確かに僕は常識の逸脱と考えられる状況に身を置いていたが、それは僕の異常性というよりも状況の異常性・強制性に深く結びつくと考えられるからだ。

 

次に事実2で分かるように街を彷徨う状況に置かれた人は複数存在しており、僕は彼らを実際に「変な人間ではなかろうか」と自分のことを棚に上げて訝しみ「何か異常なもの」と考えたからだ。

 

以上の事から「お化け」の人間性と、誰でも状況次第で「お化け」になり得るという普遍性が示せたのではないかと思う。おばけなんてないさ。

 

要約

常識から逸脱した人間ははた目から見ると説明不可能な「怪異」に映り、これが「お化け」となる。しかし、常識の逸脱とは当人からしてみれば必然的なものであるので、誰でも「お化け」になりうる事を否定できない。