僕は高校生の頃、髪を染めることに対してこう思っていた。「哀れな日本人の白人コンプレックス」「みんながやってる、から成る同調」等
そして友人にも「僕は髪なんか染めないよ。染めたら縁切るぞ。」とドッカンドッカン言わせていた。
だが現実。僕は髪を染めた。なぜかと言われれば簡単なことである。単純に「黒髪だとガキに見えるから」である。
だがそんな事はどうでもよくて、気になるのは「髪を染めることによって変わったこと」である。今まで考えたことがなかったのでやってみる。
1、「主観の転換」
「髪の色を変えただけで、そんなことが」と思う方もいるかもしれないが、ちょっと待ってほしい。
よく「形から入る」というがこれもその一種である。白衣を着ていれば他人にはその筋の者であると半ば決めつけられ、自分もそんな気がしてくるのと同様だ。
自分という対象に対する他者の主観と自分の主観というのは、あまり変わらない場合が多々ある。
むしろ自分の主観よりも他者の主観を重要視する僕たちは「形」だけで何にでもなり得る。
※ただこれは現実的に可能というだけで他者の主観に生きるやり方はオススメできないし脱却したいところ。
2、「行動の転換」
他者の主観によって「髪の色が変わった僕」を肯定された僕は次の行動の転換を開始する。
「髪を染める」=「大学生」という安直な考えを持っていた僕はすぐに「大学生」になれた。
「勉強をする」「遊ぶ」
単純で少なく見える行動だが変わったのは、その「深さ」にある。つまりより詳細に記述すると
「すごく勉強をする」「すごく遊ぶ」
となった。
具体的に記述するならば「多くの意見を読む、聞く、見る、話す」「すごく遊ぶ」「テニスする」「ダーツする」「ボーリングする」等である。
まあ「どうでもええわ」と言われそうなので、最後にこれまでの「髪染め後生活」で得たタメになることを一つ。
「対話はとても大切」
人と対面で話すこと、本を読むこと。
これらは本当に大切でかけがえのないことだと、しみじみ感じ入る。対話を重ねることで自分の思想の変化を実感できるのは本当に楽しい。
そんな中で「この世の中に意味なんてない」というニヒリズム的な思考方法に出会うこともある。
ここで仰々しい理想を掲げて僕がそれを否定すると思ったら大間違いである。
「楽しむためにやってんのに、マジレスされても…ホイジンガ!ホイジンガ!」と叫ぶだけである。
ああ、髪色の話でしたっけ…パートのおばちゃん除けに金髪にします。