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Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

化物語とアドラー心理学

アニメ

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元来の哲学書に用いられる対話形式をとってアドラー心理学を説明した「嫌われる勇気」を読破したと声高に主張します。

ちなみにこの本の手触りは本当に素晴らしい。もう快適すぎてインテリア家具にジャンルわけしたいくらいです。すべすべ。

まあ、そんなことはどうでもよくて読後の僕は「この考え方ってあのアニメのスタンスによく似てるなあ」と思ったわけです。

そう物語シリーズです

21世紀初頭の日本の田舎町を舞台とした、阿良々木暦(あららぎこよみ)と彼に出会った少女たちの、「怪異」に関わる不思議な物語

アニメにおける物語シリーズの幕切りを担う「化物語」ですが、その中でも特別に推されるセリフがある。

「人は一人で勝手に助かるだけ」 怪異に行きあった主人公、暦が毎回頼る相手「忍野 メメ」のセリフである。この考え方は化物語12話全編を通して語られる。

ここでアドラーの思想をその名言をもって振り返ってみよう。

「人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。人生はきわめてシンプルである。」

「人は過去に縛られているわけではない。あなたの描く未来があなたを規定しているのだ。過去の原因は「解説」になっても「解決」にはならないだろう。」

「健全な人は、相手を変えようとせず自分がかわる。不健全な人は、相手を操作し、変えようとする。」

これらはつまり「主観絶対主義」とでも言うような強烈な思想です。

「今の不幸な自分は他ならぬ今の自分自身が作り出しているものである」という強い否定のようなものを感じざるを得ないかもしれません。

さらに「過去の(トラウマの)否定」=「原因論の否定」も含んでいます。

周りの環境も過去の出来事も関係ない。「全て今の自分が悪いのだ」このようにまとめられる。

ここで化物語に移ってみよう。

新興宗教にハマった母という「重い思い」を切り離すことを「カニの怪異に体重を奪われる」という形で実現した戦場ヶ原 ひたぎ。

その事情を話した彼女に対して忍野 メメは冷たく言い放つ。

「被害者面が気に食わねえっつてんだよ、お嬢ちゃん」

その後、戦場ヶ原 ひたぎはカニの怪異に対して感謝の意を伝える。自分の重い思いを代わりに背負ってくれていたことを。

そして伝える。その重みは自分が背負うべきものであるということを。

これもアドラーの思想に並ぶ要素を見ることができる。「課題の分離」である。

これは、その行動の作為又は不作為によって最終的に誰がその結果を引き受けるかを課題の基準(定義)に他人の課題には踏み込むべきではないという考え方である。

そして、カニの怪異は消えひたぎの体重は元に戻る。しかし、変わったのは体重だけ。

母が新興宗教にハマった忌まわしい過去も、家庭が崩壊してしまったという現在も変わらない。

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しかし戦場ヶ原 ひたぎは語る。「何も変わらないなんてことはないわ。それに決して無駄でもなかったのよ。少なくとも大切な友達が一人できたのだから。」

そう大切なのは過去の行動によって今がどのように変わったのかではなく「過去はなんにせよ今を肯定的に捉えること」なのだから。

そんなわけで今回は「化物語」とアドラー心理学の重なりの話でした。

前述した「嫌われる勇気」を読まれた後に「ひたぎクラブ」を視聴していただくとより、その同調した性質を感じることができるでしょう。

おまけ

しかし、ここで偽物語かれんビー」の阿良々木 暦と蝸牛の怪異である八九寺 真宵が演じた「~する勇気」のエピソードを思い出してほしい。

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八九寺 真宵はおどけた調子でこう始める

「勇気と最後につければ、大抵のことはポジティブに置換できますよ。」

「そんな馬鹿な……日本語はそんな単純な構造にはなっていないはずだ。何千年もかけて形成されたコミュニケーションツールを軽く見るもんじゃねえぜ、八九寺」

「まずは小手調べから……恋人に嘘をつく勇気」

「む」

やるな。

やっていることは普通に恋人に嘘をついているだけなのに、後ろに勇気をつけるだけで、まるでそれが優しい嘘であるかのようだ---そんなことは一言も言っていないのに。

このように「仲間を裏切る勇気」「加害者になる勇気」「痴漢する勇気」「怠惰に暮らす勇気」「負けを認める勇気」と何かを小ばかにしたように会話は続けられる。

そしてその「何か」とは僕が考えるにこれである。

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正確にはアドラーの提唱した「勇気づけ」という行為、技術である。僕が勝手に予想するに原作、化物語を読んだ読者から作者である西尾維新はこんな指摘を受けたのだろう

「この忍野 メメというキャラクターを通して語られる作品の主張というのはアドラー心理学そのものでござるね」と。

あんなひねくれ拗らせたキャラクターしかいない作品を書く人間が、またはそのひねくれたキャラクターたち自身がこのような主張に「はい、そうです」と受け答えるとは到底思えない。

この「勇気」という言葉をおちょくる場面こそ西尾維新の、そしてキャラクターたちの読者へのアドラーへの反撃だったのだ。

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