Re Another Life

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アドラー フロイトに学ぶ実生活に有効(かもしれない)な思考方法 性的倒錯の形成、恋愛の定義

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前回のアドラーの主張を楽しまれたでしょうか。人生の糧となったでしょうか。自己を肯定することの大切さを理解したでしょうか。

 

大いに結構です。しかし今回はそのアドラーと喧嘩別れした精神分析の始祖フロイトの「精神分析入門」について考えていきます。

 

まあ僕はアドラーの原書を読んだことがないので実際にどうなのかは分かりませんが少なくとも

 

「嫌われる勇気」の中でアドラー心理学(というより思想)を提唱する哲学者はフロイトの理論を思想的な観点で全否定します。実際にフロイトアドラーはその理論の噛み合わなさを理由に離反したようです。

 

アドラーの思想を100%肯定することができない皆さんにとっては逆に興味が出てくる人物に違いないと思われます。

 

では彼らの理論に基づいた例を挙げてみましょう。

 

 **戦争**

戦争に行った人たちが、ひじょうに怖い 、生命を脅かされるような、忘れられない体験をした。その人たちは戦争に帰ってきたあと、たびたびその体験を夢に見たり、知らないうちにそのことを思い出したりします。

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**アドラー理論による処方**

アドラー「『戦争に二度と行かない』という目的が先立って、そのような症状を自分が手段として作り出している。このように『目的』は未来を根ざしているので解釈の変更が自分で可能であり、目的の変更こそが症状の改善を促進する。」

 

 

**フロイト理論による処方**

フロイト「自分のこころの傷を引き起こしたその瞬間(いわゆるトラウマ)にまだ固着しているため、普通の生活を続けられないほどの障害となっている。病状の意味はいかなる場合でも患者は理解していない。よって病状は無意識によって引き起こされている。つまり病状の意味を意識すれば症状は解消されると考える。」

 

アドラー「自分を決定するのは自分だ!」

 

フロイト「自分を決定するのは無意識だ!」

 

アドラーは他ならぬ「今を生きている自分」を肯定し、フロイトは戦争の恐怖を経験した「過去を生きた自分」を肯定する。

 

このように前向きな方向で記述すればどちらも聞こえは良いものとなる。

 

しかし「~は正しい」という論法には必ず「ならば~は間違いである」という副産物が生まれることを肝に銘じていなければならない。

 

先の例に沿えば、アドラーは「戦争という経験をした過去の自分」を否定しフロイトは「戦争の恐怖に打ち勝とうとする今の自分」を否定する。

 

このように2つの理論にはそれぞれの方向を全否定してしまう性質を持っている。

 

そこで今記事では彼らの理論に存在する「実生活で有効」な思考方法を紹介したいと思う。

 

性的倒錯の発生理論(フロイト)

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いきなり実用的かどうか疑わしい内容ですかご容赦を。

 

ここでいう性的倒錯というのは主に同性愛についてです。ただ同じ理論でほかの性的倒錯が発生することも説明できる場合があります。

 

 フロイトは基本的に人間の行動理念を性欲(リビドー)に求めます。このような一元論的な理論であるために哲学者などとよく並べられるんでしょうか。

 

そしてリビドーはそれが達成されないときに前の段階に退行することを一つの手段として選びます。

 

その「前の段階」とは複数あるのですが同性愛の場合はズバリ「赤ん坊時代」です。

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「赤ん坊を性的なものにつなげて考えるだけでなく、同性愛の原因とするなんてなんてやつだ。」という批判はフロイトがこれらの理論を提唱した当時だけでなく今でも人々が反射的に発するものであるといえる。

 

 しかしフロイトは淡々と説明する。

 

「いや赤ん坊にも性欲はあるんだよ。一般的な性器性欲ではなく幼児性欲。」

 

「赤ん坊とは自己保存が唯一の行動原理であり、そのために自己愛性が非常に強くなる。」

 

「この愛の対象は自分に似たものも対象になる。つまり男性なら男性に。女性なら女性というふうにね。」

 

つまり同性愛とは性欲が満たされない状態から脱出するための手段であると考えられます。

 

正直自分の文章構成能力だとフロイトの理論の100分の一ほどの説得力もないと思われます。

 

気になった方は「エネルギーの固着」という観点で調べてみてください。

フロイトによる恋愛の定義

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 フロイトは恋愛相手に対する「過剰評価」という現象から恋愛の構造を読み解いていきます。

 

なぜ恋愛相手に対して私たちは過剰評価を行ってしまうのか?

 

それは恋愛においては本来自我に向けられるべきエネルギー、つまりナルシシズムを支えているエネルギーが相手のほうに注がれるからである。

 

そうすると、エネルギーが自分のほうには少なく、相手のほうには多くなるので、自分はつまらぬ存在に、そして相手は輝かしい存在に見えてくる。

 

(宗教における信者と神の関係に同じ)

 

つまり裏を返せば「相手を尊敬しない恋愛は恋愛にあらず」なのである!

 

 これはとても力強い主張に思える。先ほどのテーマと違って私たちが「恋愛とはこうあるべきだ」と自然に思う姿をさらに理論で強固なものにしている。受け入れやすさが半端ではない。

 

浮気性のパートナーとズルズル付き合っている方。ぜひ参考にしてほしい。

 

「浮気は男の優秀な種を残す本能だ」とかいう持ち合わせた理性の性能が著しく劣等な男に対する「人類」の対抗策である。

 

フロイトの理論ばかり使ってしまったので結果的にタイトル詐欺になってしまったがアドラーはググれば分かりやすいものが幾らでも出てくるのでそちらでどうぞ。