Re Another Life

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ハイデガーと原子力 物と世界、徴用と制作

ハイデガーの技術論「ブレーメン公演」を基としてハイデガーの総駆り立て体制、ひいてはその中心に潜在的に存する原子力批判を紹介していく。おそらく2つの記事にわたる。

 

 第一講演

第一講演においてハイデガーは「物」がいかに世界に関わっているかを詳細に示す。例えばここに一つの「瓶(かめ)」がある。瓶の「固有な本性」とは何かを収めるための「空洞」である。水やワインを貯めることができる空洞あってこその瓶なのである。しかし空洞だけがあっても瓶の本性は発揮されない。空洞に収めるための水やワインが必要なのである。空洞は水を必要とし、水は空洞を必要とする。この相互的な連関が瓶という一つの物を作り上げる。

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持ちつ持たれつする関係はこれだけではない。瓶は「受け取りつつ保つ」働きのほかに「注ぎだす」働きをも持つ。この贈り贈られることの連関全体が「捧げることの全体」と呼ばれる全体性を孕んでいる。

 

瓶が瓶として存在するためには水やワインが必要であった、換言すれば水やワインに関わる必要があった。ハイデガーによれば水とは泉からくみ上げられるものであり、泉とは「石や岩盤からなる大地」と「雨露をもたらす天空」からなるものである。さらにワインとは「豊饒な大地」と「天空の恵み」によって育まれるブドウから成っている。

 

このように水やワインに関わる瓶は同時に天空と大地という、いわゆる世界という全体性をその内に潜めている。この構造は「天空ー大地ー神的なものたちー死すべき者たち」という「四者」による組み合わせ、すなわち「四方界」において現れる。ちなみに「死すべき者たち」というのは寿命が存在する者たち、すなわち無限の神に対する有限な人間存在のことを指している。

 

瓶に水やワインという凝縮された「世界」が入り込むことによって瓶は一つの「物」となる。逆に瓶に入り込んだ「世界」は瓶という「物」の中に宿り続ける。繰り返しになるが世界が物を作り、物が世界を宿らせる。この意味深長な「しばしの宿り(eine weile)」へと集約する物の働きをハイデガーは「物化」と呼ぶ。

 

第二講演

第一講演において披露された物と世界の関係は、人間と神にまで及ぶ壮大な思想であった。しかし、この科学の時代(ハイデガーの時代においても当然科学革命は済んでいる)に人間と神という放歌的すぎる神話的世界観は適切ではないように思われて仕方ない。

 

それもそのはず。ハイデガーの描いた物と世界、大地と天空の世界はいわば過去の世界であって、第二講演ではそこから世界がいかに変容したのかが語られる。

 

世界を宿し、世界に物として完成させられる「物」は、現代においては「徴用して立てられた物質(Bestand)」へと変貌する。この「徴用物質」と対比させられるのは「制作して立てられるはたらき(Herstellen)」だ。

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それぞれの概念を「棺」を例にとって説明しよう。山村の家具職人によって制作される棺は、たんなる「死体を入れるための箱」ではなく、納められ、祀られ、「死んだ農夫はなおここに留まり続ける」。その葬式や遺族は棺が起点となって動き、天地神人という四者が棺に集約される。葬式においてその棺には死者の魂が宿り、それを鎮め天へと帰すことが求められる。

 

これに対して徴用物質としての棺は「大都市の機械化された葬式産業」に例えられる。前者が「死者の入った棺」を起点にしていたのに対し、葬式産業は「死を弔うプロセスの全体が、景気振興に役立つ」という目的が中心に立っている。棺は単なる「死体を入れる箱」であり在庫という形で人の死を待たずして潜んでいる。これはれっきとした消費活動の一環であり「堅調なレジャー産業の様相を呈している」とまで言われる。

 

それでは「徴用」と「制作」の原理的な違いとは何だろう。「徴用」は作られる物を目的とせず、とにかく作ることを目的とする。これに対して「制作」は作られる物そのものの内に「死者を祀る」といったような目的を見いだすので物そのものをもって目的を完了する。

 

お察しの通りここで描かれる徴用という思想の下に私たちの時代は回っている。ハイデガーはこれを「総駆り立て体制」と呼ぶ。作り続けることを目的とした物は耐久性に乏しくすぐに壊れ、消費されていく。消費は需要を生み、また徴用された物質が世間へ転がりだす。

 

徴用して立てるはたらきは消費→生産→消費という終わらないループ構造を持つ。このループ構造がなぜ不毛なニヒリズムに陥らないのか、それは成長の拡大というプラスがこの仕組みに発生するからである。この構造を回し続けるためには徴用された物は速やかに消費されなければならない。しかし、プラスチックやアルミ、ゴムなどどう考えても自然には処理しきれない素材を人類はこの仕組みに組み込んでしまっている。極めつけには使用済み核燃料という人類史上類を見ない処理不可能な物質までも。

 

成長があるからこそこのループ構造は成り立つ。逆に言えば成長し続けなければこの構造は崩壊する。終わらない成長のために支払われる隠れたコスト、これが総駆り立て体制の批判につながる。

 

次回は総駆り立て体制と原子力に対する痛切な批判が語られる。3・11以後の私たちには逃げることの許されない考察だ。