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Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

音楽 PVによる神格化は僕らを二分した

最近の音楽というのにはPVがつきものですよね。どれも、その作品のテーマを強調するのに一役買っている様です。しかし本当に「一役」なんでしょうか。正直なところ「PVが無ければそこまで印象に残らなかった」という曲は多いのではないでしょうか?

いい時代なもので曲名を検索すれば公式が挙げている動画が見つかります。しかしそこには動画の内容ありきのコメントがずらりと並んでいる、ということが多く見られます。

ここでPVなき時代の音楽を愛する人間が現代の音楽を毛嫌いする傾向に目を向けてみたい。PVのない時代において曲の情報は曲自体の歌詞から、メロディからしか知りえなかった。(作者談という手もあるが、確実に客全員が知り得るかというと微妙)

だが昨今の流行りの多くは意地悪な言い方をすればこれはPVに頼って曲のキャパシティを超えた感想を印象付ける神格化ではないか。これはPV無しでは勝負ができない曲の質の敗北を語っている。昔は曲のみで神格化していたのだから。

一概にこの傾向を「劣っている」ことへの証明になるとは私は思わないが「歌詞の単純化」というのは確実に存在するものである。「I really like you」と繰り返すのは、その多様性をPVで表現できているからである。

また、PVありきで存在する曲も少なくない。「ストーリー仕立て」というのはもちろんのことながら、解釈に幅があるにもかかわらず映像でその幅を潰してしまうということもある。またPVにしか存在しない音源が入っている場合は「Youtube版が完全版」と感じることさえあるだろう。以上の理由が現代の音楽を毛嫌いする人間が存在する“1つの”理由であると私は考える。

だが、先ほども匂わせた通りPVも悪いことばかりではない。歌詞の単純化というのは大衆受けするし、解釈の幅を求めない人間だっているだろう。(というか、そっちにほうが多数派だと思う)

またPVと一口にいっても演奏しているのを映すだけのものも多く、それらはどちらかと言うとマニアックな層に人気を博している傾向がある。つまり古き良き伝統は映像の世界でも生き続けているのだ。

だから頭の固い友人にも「この曲いいよ」と教えてあげちゃおう