Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

ゲームプレイと演出シーン間の境界融解 サイコブレイク

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2014年にリリースされた「サイコブレイク」というゲームがある。このゲームはバイオハザードシリーズを生み出した三上真司氏がディレクターを務め作りあげたサバイバルホラーゲームである。独特の世界観と優れたキャラクターデザイン、ホラーストーリーにもかかわらず世間の評価は賛否両論あり、metacriticのユーザースコアは7.5に留まっている。

 

 主な不満点としては以下の点が挙げられる

 

・カメラが近い

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・上下に黒い帯(レターボックス)があり邪魔

 

・主人公の挙動が全体的に鈍い

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これらの特徴は続編にあたる「サイコブレイク2」において改善され、ユーザースコアも8.5を記録している。順当に見ればこの改善は進化であり、作品としての進歩であると言える。しかし、「サイコブレイク2」にはこれらの不満点を解消したことによって失われた特性がある。それがこの記事で述べる「操作シーンとカットシーンの境界の曖昧さ」である。

 

サイコブレイク」には普通に操作しているのか、それともカットシーンに入っているのか判別できないシーンが多くある。操作シーンからいつの間にかカットシーンに移り、カットシーンから操作シーンにシームレスに移行する。

 

ここでその対極の存在に触れたい。ゲームにはQTE(Quick Time Event)という表現方法がある。画面にボタンが表示され、その表示と同じボタンを押せばキャラクターが何らかの動作をするというものだ。これは通常のゲーム操作では表現しきれない動作(弾を避ける、ド派手にとどめを刺す等)をムービーで見せるのではなく、プレイヤーの操作と関連付け、ゲームの一部として表現する方法である。

 

しかし、この方法は逆説的にゲームの限界を示している。QTEが担うシーンは通常の操作では表現できないがゆえに用いられる映画的な手法だ。確かにプレイヤーは操作によってゲームに干渉しているものの、操作シーンとの断絶を強く感じることにる。この手法を三上氏は

 

プレイヤーの視点から見ると、QTEのようなシステムは、制作側が用意したバリエーションから選ぶだけの“予定調和”だと思います。¹

 

と語り「サイコブレイク」に関しては

 

そんな予定調和を崩す、システムやイベントシーンだけに頼らないゲームにしようと思います。²

 

と語っている。その企図が発揮された結果が今回述べる「操作シーンとカットシーン(ムービー)の境界の曖昧さ」である。

 

この曖昧さの利点を示すため「操作シーンとカットシーンの区別がつく」という逆の場合を考える。それはQTEの箇所でも述べたようにカットシーン(と分かるもの)が入るごとにプレイヤーはゲーム操作の中断を余儀なくされ、その結果ゲームからの断絶を感じる、という負の側面である。

 

だからこそ三上氏はゲームからの断絶を引き起こす「システムやイベントシーン」を作品から排除した。しかし、この作品においてゲームからの断絶を避ける仕組みはそれだけに留まらなかった。それが冒頭で述べた数々の不満点である。不満点が曖昧さを演出する装置に転ずるのである。

 

・カメラが近い

・上下のレターボックス

・主人公の挙動の鈍さ

 

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これらは一貫してゲームの演出シーンに通じる特徴であると言える。演出シーン中その主役となる主人公が大きく映されるのは必然であり、レターボックスが出現するのもムービー(カット)シーンの常とう手段であろう。

 

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上のスクリーンショットカットシーンを,下のスクリーンショットが操作シーンをそれぞれ映している

演出シーンにおける挙動の鈍さはゲーム特有のものだろう。歩くスピードが遅くなり、操作コマンドが限定される、という動きが制限された状態となる。

 

演出シーンを作り上げるための要素が通常の操作シーンに適用されることによって、「サイコブレイク」は常に演出シーンたることを成し遂げた意欲作であるということができる。

 

ここにきて私たちはその偉業が「ゲームプレイの快適さ」を犠牲にすることを理解する。しかし、何よりこの作品は三上氏が繰り返すように第一にサバイバルホラーなのであり、端から快適さを求めてプレイするものではない、とも言いうる。ホラーゲームにとって演出シーンとはいわば安全地帯なのであって、怖さを目的とした場合安全地帯は致命的な障害になりうる。

 

「快適さ」と「怖さという体験」を天秤にとり「怖さ」を選び取ったのが、この作品であるとするならば、挙げられた不満点にも納得がいくというものではないだろうか、というのが本稿で伝えたかった全てである。

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既にリリースから7年の時を経ている今作だが名作ホラー作の域に達しているといっても過言ではない。ぜひプレイしてほしい。

 

¹ 「『PsychoBreakサイコブレイク)』三上真司氏インタビュー 完全版」

https://www.famitsu.com/news/201305/01032638.html 

² 同上