Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

安吾とクモの巣の美

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NUMBER GIRLの「PIXIE DU」という曲に「安吾ははっか タバコを吸いながら 猫の大群を 見たり ふらついたり」という歌詞があって思い出しました。ここで出てきた安吾というのは坂口安吾で間違いないと思われる。

 

その坂口安吾は自伝の中で(恐らく「処女作前後の思い出」か「二十七歳」)新しくできた蜘蛛の巣が美しいと言っている。なぜかというと「卑しい食欲の発露がない」からと言う。確かに古い蜘蛛の巣というのは虫の死骸だか、体の一部があちこちについていて気持ちが悪い。

 

蜘蛛にとっての食い物がベッタリついたのを見て安吾は「これは蜘蛛の卑しい食欲が生み出した産物なのか」ということに気が付いて嫌悪感を抱くわけです。それならば虫がくっつく前の綺麗な巣も、結局は食欲を満たすための装置であって、古いものと同様に嫌悪感を抱くのではないか、とも考えられる。

 

そもそもなぜ安吾が新しい蜘蛛の巣の美しさに気が付いたのかが肝要なところだ。安吾は自分の部屋で蜘蛛が巣を作るところを見ていた。彼は食器を置くことすら嫌う世捨て人だ。当然掃除なんかも一切しないだろう。ある時目を覚ますと顔に謎の斑点と膨れがぽつぽつとしている。友人に相談すると自分の顔の上に蜘蛛が巣を張っていたということが分かったというエピソードもある。

 

まさに安吾は目の前で巣を作る蜘蛛を見ていた。その中に安吾は蜘蛛の「卑しい食欲」を見たのか。否である。蜘蛛は巣を作るために、巣を作っていたのだ。そこに獲物を食らうという将来の欲求とビジョンなどは微塵もなく、行為と目的が完全に一致する知行同一の純粋な姿があるのである。

 

安吾の感じた美は「〇〇と比べて美しい」という基準を超えている。それは少し触れたように行為と目的が完全に一致しているという無我の知行同一に基づく美だからだ。「巣を作るため」(目的)「巣を作る」(行為)という統一に安吾は美を見る。

 

人間はこうはいかない。

 

歩くために歩いているわけではない。その足は仕事に行くために歩いているのかもしれない。仕事をするために仕事をしているわけではない。仕事はお金を得るための手段に過ぎないかもしれない。お金を得るために稼いでいるのではない。生きるために必要だから稼いでいるのかもしれない。

 

そして生きるために生きているのか?この答えられるはずのない問いに人間は苦しめられる。一方人間以外の生物はこの問いを発することができない。だからこそ美しい、落伍者に憧れる安吾らしい美だ

 

以上述べたことの材料は以下

NUMBER GIRL 「PIXIE DU」(ドイツ語表記もある?)

・『作家の自伝 53 坂口安吾

・『善の研究』(知行同一のエッセンスはここから)