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神の現存在の論証 カント 第一部 第四考察 神の証明根拠について

前回確認した、神の性質から神の存在証明を行うのが今回の考察が担うところです。

第四考察 神の存在の証明根拠

 

一、必然的存在は精神である


カントは第三考察で証明した神の性質(単純、全ての実存性の根拠、最大の実存性を持つ)から神が悟性と意志という2つの属性を持つという。このことを3つの証明をもって説明しようとする。悟性という単語は中山元が訳したように知性に置換して考えても良いと思う。ただし以下の証明はアプリオリなものであり、前提が抜けていると感じるかもしれない。私も実際そう感じた。

第一の証明
悟性と意志の両者は真に実在的なものであり、しかも最大の実存性を持つものと共存できる。後者の命題についてカントは論理的な明晰性は得られないと言っている。前者の命題については「真に実在的なもの」が実質的矛盾に当たらないという単純な論理で理解することができる(第三考察を参照)。

 

第二の証明
精神の性質である悟性と意志は全くかけがえのない存在である。したがってそれらは最高度の存在をもつのである。しかしそれらは可能的なもの(人間)に属している。よって絶対に必然的なも同じように悟性と意志を持っていなければならない。

 

第三の証明
全ての可能的なものには秩序、美、完全性を持ち、それゆえ神にもそれらの性質を持つという。これらの性質は理性的なもの、または意志を前提とするという。例えば草木は意志や理性を持たずとも成長できるが、それらを花壇のように秩序立てて並べるには理性と意志が必要とされる。それゆえ秩序立ったものや美しいもの、完全なものを持つ神は同時に理性と意志をも持つのである。

 

以上の理由から必然的存在が意志と理性を持つこと、したがって精神であることが導出される。ほとんどの証明が「すべての可能的なものは神に依存するので、神は可能的なものの性質を持つ」という単純な命題に依拠している点に注目すれば理解しやすいだろう。

 

二、それは神にほかならない。


これまで証明してきた絶対に必然的な存在についての性質を考えればそれは神に他ならないことが分かる。

 

三、補足的注意。


なぜカントが全てのものが依拠する神に対して、悟性と意志だけをわざわざ紐づけたのか、という当然の疑問の答えがここで説明される。まずカントは神に「完全性」という述語を使う事に否定的であるという。第三考察で全てのものは神に依拠すると説明されたが例外もあった。それは実質的矛盾と呼ばれるもので、結果がゼロとなるものであった。そのようなものは神には帰されない。もし神が悟性と意志を持たなければ、その神に依存するすべての物体、精神が盲目的な偶然性の上に存在することになってしまうからだ。

 

四、結語。


考える私は絶対に必然的な存在ではない。なぜなら私の存在の廃棄は、全ての存在の廃棄を意味しないからだ。したがってこの世界も必然的存在ともいえないし、神の属性であるとも言えない。なぜならこの世界には矛盾、欠如、変化など神の規定に反するものが存在するからである。

ここまでに述べられた神の存在根拠とは全てアプリオリなものであった。我の存在、精神の存在、物体の存在、どれも前提とされていない。この証明は絶対的必然性の内面的性質からのみ引き出されたものである。カントはここから経験によるアポステリオリな証明を進める。