まずはこの阿保のツイートを見てもらいたい。
選挙終わってから候補や政党や支援団体のことを特番で見せられてもどうしろと言うんですか?
— デーブ・スペクター (@dave_spector) 2016年7月10日
遅いだろう!全く役に立たない。メディアが公職選挙法の改正を大優先にしないなら開票特番やめて全部アニメでいいです。オチはありませんm(__)m
まず初めに言っておきたいことなのだが日本のテレビ局は国民の教育を第一の目標に置く非営利団体ではない。視聴率が取れるから特定の番組を放送する。
それを何を勘違いしたのか彼は開票特番をやめてアニメを映せという。(オメー投票してねーのかよ!)
この論法は子供が自分の見たかったアニメが興味のない野球中継によって消されたときに使うものと何ら変わらない。(しかも、アニメ「でいい」などと地味にアニメディスを入れちゃっている)
しかし、そんなことはどうでもいい。今まで述べた問題はデーブスペクターとかいう、「少し頭が足りていない阿保が自分の意見を通すために頑張って考えた個人的なこと」なのだから。
どんなに論点がずれていても、真実(に見えるもの)と食い違っていたとしてもそれは正真正銘、彼自身が考えたことなのだから。
だが本当に恐ろしいことはこのツイートが「2万RT以上されていること」にある。
僕は別に世間の政治離れとかいうことを問題にしたいわけではない。Twitter利用者がこのようなツイートを「RTのみ」することに問題を見出している。
RTした人間の動機というのは恐らくこのようなものだろう。「俺も開票放送なんかよりバラエティーが見てえよー!お!なんだか説得力があるツイートがあるぞ、RT!これが俺の意見な!」
アウチ
自分の意見を強固にするためというのを通り越して
思考停止である
思考停止して飛び乗ったその船は泥船であった。酷いオチだ。
こんな光景をTwitterではいつでも見ることができる。人の意見をRTしたかと思ったらすでに別の話題に移っている。そのRTの意味はなんだ?メモか?
自分の意見を付随させもしないのに取り込んでいる気になっているのは僕が大嫌いな宗教と同じ構図である。
宗教が発生したのは「人間が人間を人間として生きさせるため」に他ならない。だが様々な宗教は行き過ぎた。人間として善く生きるために作った宗教は人間を思考停止に追い込み人間として善く生きることを奪い去った。皮肉なものだ。
思考停止して生きるだけなら人間でなくても可能である。もはや本能と化した宗教にすがって生きてゆくのだ。そんな重大なことがTwitterでは気軽に何度も繰り返しいつまでも、起こり続けている。
その意味を自分の肌に合う意見をRTする前にいま一度考えてみてはいかがだろうか?