Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

狂ったスタローン 『ラストブラッド』

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ランボー』から38年、前作『最後の戦場』から12年の時を経てランボーシリーズ最新作にして完結作『ラストブラッド』が日本でようやく公開された。

 

ランボシリーズはPrime Videoに追加されたことをきっかけに全過去作を予習して映画観へと向かった。自分を含めて観客は10人もいなかったように記憶している。

 

そして肝心の映画の感想はというと「超面白かった」に尽きる…というと嘘になる。もちろん面白かったのは間違いない。しかし、その面白さはかなりの背徳感を伴って感じられた。

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ツイフェミという蔑称とフェミニズムの違いについて

ツイフェミ(良い表現ではないので以下文脈によってはツイと略して記す)と呼ばれる人たちの言動は、暴動という形で抗議する黒人のそれと同じだと考えられる。

 

彼らはなんらかの厳密な理論を持って暴れているのではなく、これまで自分たちが被ってきた不平等や差別という暴力をやり返しているのに過ぎない。だから彼らに論理を求め、その論理が破綻していることを指摘しても無意味なのだ。

 

 

 

ここで「ツイフェミ」と蔑まされて呼ばれている現象と、学問としての歴史も論理も備わっている「フェミニズム」が全く別のものとして認識できる。

 

多くの人間は論理が破綻したまま暴れるツイを見て「モテない女性のひがみ」とか「話の通じない相手」という印象を抱き、この印象を直接「フェミニズム」に繋げて考えてしまう。


しかし、これは明確に間違っている。学問としてのフェミニズムはより精緻で冷静な視点で描かれている。「フェミニズム」は哲学や社会学にも通ずる学問なのだ。ツイもフェミニズム穿った目で見ているあなたも結局は学問としてのフェミニズムに触れられていないのだ。

 

 


最後に「ツイフェミ」を客観的に描くにあたってツイに対して悪い印象を持った人も多いと思うが、これも間違いだと僕は思う。

 

最初に言ったようにツイの言動は黒人による暴動に重なる。暴動においては店から物が奪われ、建物は破壊されるという暴力的な行為が日常化する。


この行為が明確に非道徳的なのは疑いようがない。しかし、彼らは物を盗み建物を壊す単なる加害者なのではなく、これまで長い間社会という途方もなく大きな存在に痛めつけられてきた被害者でもあるのだ。つまり論理のない破壊行為は反動であり、加害者に対するカウンターパンチなのだ。


ツイにおいてもそれは変わらない。女性というだけで、男性というだけで何かを強制される、何かを制限される、弱くあることが求められる、強くあることが求められる。


このような暴力をツイの人々は日常的に受けている。私たちだって気付いていないのだけで受けている。それをやり返さず黙って耐えていろ、という方が酷なことではないか。

 

確かにSNSという全方向に発信されてしまうものと、怒りに任せた行動は相性が悪い。主語が大きいと自分は性別差別をしていないと思っている人は「ムッ」と思っても仕方がないと思う。


そんな人にこそ「学問としてのフェミニズム」に触れることでツイフェミと呼ばれる現象について理解することができるのでは、と思ってやまない

『ハロウィン』(2018) 殺人鬼マイケルにおける性

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『ハロウィン』(2018)

 

ハロウィンシリーズ一作目の40年後を描いた作品。実際に『ハロウィン』(1978)から40年経っているのに加えて、キャストがそのままということで話題となった。

 

この記事では殺人鬼マイケルの仮面の下に隠された、暖かいとは言わないまでも人間臭い部分を考察することを目指してみる。

 

  • 殺人の考察

 

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考察の端緒となるのはやはりマイケルの殺人だろう。マイケルの被害者となる人物はランダムなのか?という疑問が本編でも上がっていた。ここではこの問題に対して自分の考えを述べ、マイケルの人間性について考えていきたい。

 

まず決定的なのが男女の別である。マイケルは明らかに能動的に女性を選んで殺しをしている。6歳の子供時代に姉を殺害した時からこれは一貫しているのではないだろうか。

 

またその女性達には魅力があるということも共通点の一つなのではないかと考えられる。(まあこれはホラーやスリラーの被害者は魅力的な女性が選ばれる、というより根が深い話にもなってしまいそうだが)

 

これに対してマイケルは男性を積極的に殺そうとはしない。男性の記者を殺したのは彼が向かってきたからだし、カレンの友達の彼氏も彼女を守ろうと向こうからやってきた。

 

オスカーを殺したのも姿を見られたからで、主治医を殺したのは脱出するため。要するに男性は必要に駆られて殺す、という受動的な形を取っている。

 

それではなぜ女性を殺すのか?僕はこのシリーズを一切見ていないので、今作の情報からしか推測するしかないが、女性への憧れとコンプレックスというのが非常に大きいように思われる。

 

  • マイケルの内実の表現、二人の男

 

この女性へのコンプレックスをマイケルに代わって表現してくれた人物が今作には二人いる。女装をしたカレンの彼氏デイブと、カレンにキスをしようとして拒まれたオスカーだ。

 

まずデイブの女装はかなり似合っていて遠目では女性と見まごうが如き出来だった。マイケルは美しい女性ばかりを狙うが、それは自分には到底手に入らない美しさに嫉妬しているのでは無いかと考えられるのだ。

 

マイケルが最初の殺人を犯した場面なんかも象徴的で、美しい彼の姉が裸で髪を下ろしている時に犯行は実行される。

 

(つまりデイブのような男性でありながら女性のような美しさを持つ事がマイケルの一つの理想と言えるだろう)

 

マイケルが女性の美しさに固執していると言うことは、彼の殺害方法の違いからも分かることだ。男性は顎を砕かれたり、歯を抜かれたり、鋭利なもので顔を貫かれたり、頭蓋を破裂させられたりと醜く死ぬが、女性は首を締めたり体を刺されたりと比較的その死体は美しいままに保たれている。

 

次にカレンにキスを迫って拒まれたオスカーだ。彼は彼氏を振った直後のカレンに「フリーだから」という理由だけでキスを求める。オスカーを友達としてしか見ていなかったカレンは当然キスを拒み憤る。これに対してオスカーは「女どもが(セクシーなのが)悪いんだ」と吐き捨てる。

 

彼女らのセクシーさが俺の愚行を誘っているのだ、と言う最低の論理だ。この主張がマイケルの殺人の理由にも当てはまっていると思わざるを得ない。その後オスカーは見事に殺されるわけだが、これは同族嫌悪とも見れるだろう。この同族嫌悪が男性の殺害方法の激しさにも繋がってくるように思われる。

 

以上殺人鬼マイケルの人間性が、デイブとオスカーという二人の特徴や主張に仮託されているのでは無いかという話であった。

 

 

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最後に「クローゼット」に触れないわけにはいかない。劇中何度も出てくるこの象徴に触れて僕は以上の主張を想起したと言っても過言では無い。

 

マイケルは襲撃中やローリーから逃げる時に何度もクローゼットの中にその身を隠す。ローリーはこの特性を知ってか、何度もクローゼットの中にマイケルが潜んでいないかを確認する。

 

さてここで「クローゼット」という単語が単なる物体の名前としてではなく、同性愛の暗喩として使われることを確認しておきたい。「性的指向を隠している状態」としてクローゼットという単語が使われるのだ。

 

何度もクローゼットに隠れ、美しい女性を殺し、男性は醜く殺す彼は一体何者だろうか?

 

これは僕個人の妄想を多分に含んだ考察だが、こういうのが映画の面白さでは無いかな?と思います

ダメ人間論 ~素晴らしきダメ人間の称揚~

突然だが僕はダメ人間が好きだ。映画を見るときには「どんなダメ人間が出てくるのか」という視点で胸を昂らせている。『万引き家族』のお父さん(というかリリーフランキー)や、『100円の恋』のボクサーなんかが最高だなあと思う。

 

しかし、そんな劇的なダメ人間でなくとも僕はダメ人間が好きである。なぜならダメ人間として生きている、という事実だけでその人間は魅力的であるからだ。この仮説を展開するのがこの記事の目的である。

 

ダメ人間っていうのは往往にして人間的魅力に溢れている。なぜなら魅力がない人間はダメ人間になりたくてもなれないからだ。

 

その魅力の欠如によって周りからダメ人間である事を許されないからだ。ダメなだけの人間は周りにそのままで生きる事を許されずに普通の人間へと転身せざるを得ない。

 

一方真のダメ人間は持ち合わせの魅力によって、ダメ人間のままでも周りから生きる事を許される。だから「普通」に矯正されずダメなままで生きていける。

 

周りに生かされないままダメ人間を続ける人間もいるが、それは他人に頼らず生きていける強いダメ人間だと思う。いや既にダメ人間と呼ぶのは失礼かもしれないが。

 

以上過去のツイートを貼り付けただけでおしまいである。クズであることそれ自身を魅力に感じる退廃趣味も多分に含まれているとは思いますが、今回の記事で述べたことは「クズであるならば、魅力的でないと生きられない」という受動的な論理構造でした。決して自分のクズさをごまかすためではない。

 

ちなみにこの考えはエドウッドの映画(ティムバートンによる『エドウッド』とエドウッドによる『グレンとグレンダ』)を観て思いついた。ティムウッドはヒモになるために必要とされる芸術的才能もない。さらに異性装が犯罪になる時代において女装癖がある。にも関わらず人間には恵まれていたのだ。彼のダメ人間としての才能かくたるや

塵芥に消え失せる映画レビューの繋ぎとめ

SNSに投げた文章は膨大な数の他の文章によって相対化され、その価値は常に小さくなっていき、いずれ無同然となります。デジタルタトゥーとはよく言ったものですが、そんなものは炎上か一部の特権階級だけが享受しうるものです。映画レビュー置き場、第二弾です。毎回記事タイトルをええ感じに変えていきたいですね。

 

ラインナップは『さよなら、人類』『ファンタスティックプラネット』『チャイルドプレイ』。ネタバレありです。

 

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僕は人の名前を覚えられないし、覚える気もさらさら無い

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今回は人間の名前を話題の端緒に記事を書いていきます。

 

僕は人間の名前をとことん覚えられない。高校の時に好きだった女の子の名前を覚えられず、何十回と会っている友達の名前が覚えられず、担任の先生の名前が覚えられない。先輩・後輩の名前も覚えられず「先輩」や「オメー」と呼んだりしている。

 

この現象の原因をずっと考え続けていた。そして一つの答えにたどり着いた。その理由とは「他人の名前などどうでもいい」からである。もっと言えば自分の名前さえもどうでもいい。なぜなら名前というのは何かを代替的に表現する記号に過ぎないからだ。

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『文化と両義性』 昼と夜のメタファー・呪術の失敗・対立物の一致

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山口昌男の『文化と両義性』を図書館で借り付箋だらけにしたものの、返却期限が近づいてきたので、付箋でチェックした部分を本文の引用とともにここに残しておく。主に神話における事象を扱っており、自分のような全くの神話の素人でも楽しく読むことができる名著である。

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