Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

沖に流れ去る映画レビューを拾って繋ぎとめる

最近Filmarksという鑑賞した映画を記録しておけるウェブサイトを使い始めました。僕がこの短い人生で鑑賞した映画は204本らしかった。記録用とは言うもののそこに投稿した感想は、時間がたつにつれて膨大な情報量によって沖に流されネットの海に消えていくのが定めである。

 

そこで、この記事では最近Filmarksに投稿した駄文をコピー&ペーストし、ビッグデータの一部になろうとしているレビューを繋ぎ留め避難させることにする。最近の趣味の偏り具合によってホラー作品が多めとなっている。たった4作品の、それも短いレビューなので見ていってほしい。

 

ラインナップは『グリーンインフェルノ』『らせん』『ムーンライト』『ミッドサマー』。ネタバレはある。

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ゲームプレイと演出シーン間の境界融解 サイコブレイク

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2014年にリリースされた「サイコブレイク」というゲームがある。このゲームはバイオハザードシリーズを生み出した三上真司氏がディレクターを務め作りあげたサバイバルホラーゲームである。独特の世界観と優れたキャラクターデザイン、ホラーストーリーにもかかわらず世間の評価は賛否両論あり、metacriticのユーザースコアは7.5に留まっている。

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自分の裸を完全に認識することの難しさと現代哲学の潮流

必要最低限のスペースで一人暮らしをしていると、自分の裸を見る機会が少ないことにふと気がつく。

 

トイレと風呂、洗面所が一体となったユニットバス空間には洗面用の鏡しかなく、自身の裸は上中下と身体を3等分したうちの上1つしか見えない。

 

また風呂に入るにあたって湯船に浸かるということも皆無であるので折りたたんだ状態の裸体を見る機会もない。

 

これが実家に帰ると一転して、脱衣所の鏡、風呂場の全身を映す鏡が現れる。湯を沸かすことも当然あり、水の作用によって屈折して映る身体をしみじみと見たりして、自身の裸を見たのが久しぶりであることに気がつく。

 

なんとなく鏡で自身の裸全体を見ながら体を洗う。

 

この2つの風呂体験において、前者は自身の裸が物理的に見られず、後者は精神的に見られない。

 

両パターンの風呂体験では裸は「ただ洗われるためのパーツ」として現れる点で共通する。そこでの裸は「洗う」という目的が「裸それ自体」に先立って認識される。そのため「洗われる裸」(目的)が「裸」(そのもの)よりも重視される、というトンチキなことが起こる。

 

久々にあった友達に「急に太ったな」と指摘すると、「毎日見る自分の身体なので変化に気がつかない」という言い訳を聞くがこれは逆である。

 

多くの人間は自分の身体を、それが自分であるが故によく見ていないのである。「洗う」という目的が先立ち、実際に重要な自分の身体(裸)それ自体を真っ直ぐに見る機会が実はないのである。

 

人は「自分の身体のことは自分が一番わかる」と意識しがちだが、風呂場での裸のように実は目的や鏡や水といった媒介物を通してでしか自身の裸を認識していない。

 

自分が操っている(と思っている)自分の身体にさえ当人が意識できない「外部」が必ずあるのだ。

 

「分からないものがある」というのは現代人の真に恐怖する現象だと思う。治療法がない病気など存在しない(治療法が将来必ず見つかる)と意識の奥底で思い込んでいる人間もそう少なくないのではないかと思う。

 

しかし、絶対に理解できないもの、数値化できないものは存在する。そのことは他でもない科学的な知によって指摘され続けている。

 

そういった絶対的な外部を論じるのが現代哲学の一つの潮流である。以上はANT(アクターネットワーク理論)、OOO(オブジェクト指向存在論)、新実在論をかじった後に『天然知能』を読み、風呂での体験を端緒に現代哲学の非常に大雑把な潮流を書いたものである。

フェミニズムをめぐるネットの議論がなぜ不毛なのか

ネットにおけるフェミニズムをめぐる言説は両性同士のフォビアの道具に終始している。異性のいずれかを悪者にするこの対立はフェミニズムなどではない。

 

フェミニズム社会学という立派な学問領域に属するものとして議論されているのであって、ネット上の彼らはなんの専門知識も持たずにただ感情だけで相手に罵詈雑言を投げかけているに過ぎない。

 

そもそもフェミニズムは男女同権論と訳される。これは互いの性の違いを許容し、その上で平等な関係を築くことを目指す。一方の性を貶し、悪者に仕立てようとする現在のネットの議論は男性側、女性側問わずあまりに不毛である。


先に述べたようにフェミニズムとは本来学問の領域で語られるもので、その手の本の一冊も読んでいない「学のない」人間の声が大きいのを見るとほとほと辟易してしまう。

 

「学」のないというのは学歴がないのではなく、「学び」がないのである。「学び」がないとは自分の極小の知識を普遍的に正しいと思い込み、新たな知識を手に入れようとしない事を指す。


専門の本を読まずに専門分野を語る事ができると思うのが恥であるように、フェミニズムの知識を持たないままフェミニズムを語る、貶すこともまた恥である。

 

もちろん僕もフェミニズムは専門領域ではないため上記の説明にも間違いは含まれる(第一波、第二波の違いなど)と思うが、それゆえに学びの日々である。

 

難しいことは言っていない。フェミニズムには蓄積された歴史があり、議論があり、論理がある。それらをすっ飛ばしてフェミニズムを語れている、又は貶せていると思い込むことは愚かである。そしてそれがネットにおけるフェミニズムを取り囲む現実である。

 

自身が絶対的に無知であること忘れないで生きていきましょう。紀元前から言われてることっすよ……

でびっち追悼配信分析 恐怖とでびでび・でびるの実在

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2020年2月7日23時、予定を一時間遅らせて、でびでび・でびる(敬称略)のチャンネルで「でびっち一周忌 追悼特別番組」が放送された。そも、でびでび・でびるとは何ぞやと思われるかもしれないが、そこはこの記事の前提知識として持っていることを想定して書く。「でびっち一周忌 追悼特別番組」の感想とその分析を行うのが主眼である。考察ではない。

 

感想という形をとるが心情としては批評に近いものがある。なぜなら今回の放送は「作品」と呼ぶのにふさわしいものだったからである。

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人は真夜中に飲み会を抜け出すと「おばけ」になる

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2019年年末のある日の夜、僕は飲み会がつまらなさ過ぎて途中で離脱し街をさまよっていた。真夜中の午前二時、家に帰る手段はない。冷たい風と雨をしのぐため静まり返った街を歩く。しばらく滞在できる場所を探しているとだんだんと二つの事実に気が付いてきた。

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『パラサイト』好きなシーン

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先日2020年1月10日に日本で一般公開された『パラサイト 半地下の家族』(韓: 기생충)を観てきたので良かったシーンを挙げる。映画評のようなものを書こうとしたが「そんな単純なものじゃないだろう」と挫折したのでこの単純な投稿に至る。ネタバレはある

 

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