Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

民俗学的な道化(フール)としての『ジョーカー』

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本稿は映画『ジョーカー』に登場するアーサーという人物がいかに民俗学的な道化という枠で振る舞っているのかについて考える試論である。参考文献としては『道化の民俗学』『道化と笏杖』を主とする。気になった人は自分で読んでみてほしい、良書。

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フィヒテの事行(Tathandlung)解説の試み 前半

 

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屋根裏部屋の上下にさらに部屋がある。ここはいったい何階なのか。底が知れなくなる、そんな話

 今回はドイツの哲学者ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(1752~1814)の「事行」という概念について解説していこうと思います。「事行」とはフィヒテの知識学におけるもっとも重要な概念で、これが間違っていた場合「知を革新する」と謳った知識学はその根底を失ってしまう。それほど重要な概念だと考えてもらえると大体あっています。

 

ちなみに参考文献は初期知識学に当たる「全知識学の基礎」第一章のみなので非我との関係を知りたいという方のニーズに答えられる記事とはなっていない。

 

キーワードは自我、自同律などです。意識して読むと良いかもしれない。

 

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Ctuberとの比較に見るVtuberの特異性

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Vtuberについてはかなり前から書きたいと思っていた。周りの友達はVtuberを一切見ていないし、Twitterのフォロワーの大部分がPCゲーマーの自分にはVtuberについて語る場が余りにも少なすぎた。

 

(最初に言っておくが私が見ているVtuberにじさんじの数人とシロちゃん、個人勢の数人だけであるので偏りは避けられない。)

 

「好きなVtuber」という月並みな記事を書くつもりだったが、名前を列挙しているうちにVtuberとは一体なんなのか、について語らなければいけない気がしてしまい、この記事に至る。

 

というのも現在Vtuberは多種多様である。そのあまりの多様性のため「バーチャルな存在」というVtuberの説明は単なる同語反復であり情報量は0となってしまっている。そこでCtuberというVtuberを前提とした概念によって「Vtuberとは何か」という輪郭だけでも描き出すことを試みる。

 

そもそもCtuberとは「キャラクターのYoutuber」の略でありハローキティチャンネルのキティーちゃんの言葉が発祥らしい。ゲーム部プロジェクトも後出しながらCtuberに該当することを述べている。

 

Vtuberがバーチャルな存在であることを示すのに対して、Ctuberはキャラクターであることが強調される。

 

キャラクターもバーチャルな存在であることに変わりはないため、CtuberはVtuberから派生した一つの型と考えて相違ない。

 

それでは何が異なるのか。それはバーチャルの在り方である。Ctuberはまずキャラクターがあり、その中に魂が入る。ここでいうキャラクターとは外見だけでなく性格や喋り方などキャラクターの全てであり、そこからの逸脱は許されない。

 

これに対してVtuberは許される逸脱の幅が広い。確かに魂に先行して立ち絵やキャラクター設定などは存在するが、殆どのVtuberはその枠を飛び出す事を辞さない。

 

なぜならば彼らはバーチャルの存在ながらこの世を生き、生活している事を隠さないからだ。このように言うとCtuberは死んでいる事になるのか、と言うことになる。

 

答えはイエスである。設定された性格と真逆のことを為し、生活音や人体から出る音をかき鳴らし、時には死生観を語るVtuberに比べればCtuberは死んでいる。キャラクターという檻に閉じ込められ、その型に合うよう矯正された者が死んでいると言わずして何と言おう。

 

表現上Ctuberが悪い存在のように見えてしまうが実際のところ、そんな事はない。キャラクターはキャラクターであり、それに声を吹き込む声優は全く別の人間であるというのは従来のアニメと何も変わらない。

 

そこでVtuberの特異性が浮かび上がってくる。逸脱を許されなかった従来のキャラクター達が設定の殻を破って縦横無尽に駆け巡る、これがVtuberの新しさであり特筆すべき特徴だろう。

 

また蛇足ながら付け足すならば「にじさんじ」がなぜローテクな2Dを用いながらも人気を博しているのかも説明できよう。「にじさんじ」のメンバーは「バーチャルライバー」と呼称され非常に自由な方針のもとで活動をしている。

 

先ほどの生者と死者の例えに呼応するように「にじさんじ」のメンバーはまさにライバー(liveする者)であり、死体であるキャラクターの殻を破る者なのである。

 

Vtuberの特異性を体現した「にじさんじ」が好調な事はこの考え方からすれば良いことに思える。

 

まあそんなとこっすかね…

 

参考

ハローキティによるCtuber概念の言及

https://www.oricon.co.jp/confidence/special/52015/

 

・Unlimitedによるゲーム部プロジェクトとCtuberの関係について

https://gameclubproject.jp/20190717info/

『サバイバルファミリー』ー想像の共同体としての家族の復権

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『サバイバルファミリー』は、2017年2月11日公開の日本の映画作品。ある日突然訪れた原因不明の電気消滅により廃墟寸前となった東京を脱出した一家のサバイバルコメディ。脚本、監督は矢口史靖。主演は小日向文世。第1回マカオ国際映画祭・コンペティション部門出品作品。-Wikipediaより

 

まず最初にこの映画は良い作品だということを言いたい。この作品に間接的に影響されて携帯電話を携帯することをやめた。おかげで本を読む時間が増えた。

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安吾とクモの巣の美

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NUMBER GIRLの「PIXIE DU」という曲に「安吾ははっか タバコを吸いながら 猫の大群を 見たり ふらついたり」という歌詞があって思い出しました。ここで出てきた安吾というのは坂口安吾で間違いないと思われる。

 

その坂口安吾は自伝の中で(恐らく「処女作前後の思い出」か「二十七歳」)新しくできた蜘蛛の巣が美しいと言っている。なぜかというと「卑しい食欲の発露がない」からと言う。確かに古い蜘蛛の巣というのは虫の死骸だか、体の一部があちこちについていて気持ちが悪い。

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