Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

不良が更生することは、元々正しい人間であることよりも尊ばれるべきという考えの論証

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よく両津勘吉が「更生した不良が元々善人であった人間よりも賞賛されるのはおかしい」と主張する漫画を目にする。それとは相反する主張を見つけたので紹介する。

 

これは汎神論的思想における主観と客観、自己と他者、善と悪が統一的であるという主張に派生したものです。本来、善と悪は統一された一つであるというのがベースの考え。

 

罪人が更生するということ、それはすなわち自身の犯した罪を悪と知ることと同義です。ここでは自身の悪の自覚それ自体よりも、罪人であったが故に悪と罪の本質を能く知りうることの価値が強調されています。悪なき一辺倒な世界は浅薄であるとも断じられます。『善の研究』より要約。

 

※(ここは本論からズレているので無視してよい)『善の研究』では浄土真宗における悪人正機にも通ずる見方であると書かれていますが、ここで言う悪人の定義とは自己の能力をネガティブに評価し他力(阿弥陀仏の本願)に頼る人間なので、人間の成長に意味を見出す西田の考え方とは合致しないと考えられます

 

何にせよ善人であり、悪人でもあったという二面性がここでは高く評価されています。例えば戦争を行うことが悪いことだ、と主張することは誰にでもできます。人を殺すのは悪いことだからと。

 

しかし、実際に戦場に出て人を撃ち殺した人が同じ主張をするとその言葉の重みは全く異なります。殺人という悪を行なった上での「戦争はいけない」という主張。こちらの方が戦争という「悪」の本質を、自分が行うことで善く知っているのです。本当の善とは悪と切り離しては実現しないのです。