タイトルに反して固い内容であるよ。長くなったので最初に流れを書いておきます。それを読んで気になった方は続きをご覧ください。
1、私たちが無宗教である理由
2、私たちが無神論者である理由
3、1と2が実は繋がっていないという事
4、神が存在する理由
1、「問題には数式で表せる答えが必ず存在する」 思えば私たちの世界観はこんなものでしょう(この世界観はデカルト時代から止まっている古臭いモノです)。あるいは「科学は絶対!」と言い換えてもいいでしょう。
そんな世界観が蔓延する現代に生きていると、私たちは自然に宗教なんて言う非実証的な分野には懐疑的になるわけです。
これは無自覚な感覚ですが実は過去にあった実例に基づいていたりします。
例えばナチスドイツの虐殺であったり、オウム真理教のサリン事件、最近ではISILの活動と枚挙に暇がありません。(殺人という目に見える悪が説得力を持つ)
2、そして宗教を疑えば自動的にその崇拝対象である「神」という観念もまた疑われます。ここで述べた「無神論者に至るプロセス」というのは私に限ったものではなく日本人に満遍なく適用できます。
人が死ぬ→宗教が原因→さかのぼって神が原因→神様とかありえないっしょ
3、しかしこの一見正しいような推論には決定的な間違いがあります。(この辺の文章から怪しさが充満してきますが、ちょっと落ち着いて考えてみてください♥)
ではどこが間違っているのかというと、それは「宗教」と「神」が完全にイコールとして扱われていることです。宗教は疑われても当然ですが神は信じる、というか存在してしかるべきなのです。
4、なぜ「神」は存在しなければならないのでしょう?ところで子供のころお母さんやお父さんに「宇宙の始まりはビッグバンだよ」と言われ納得していた人が多いと思われます。しかしそれは本当の答えにはなり得ません。
なぜならビッグバン以前にビッグバンを創造した何かが考えられて当然だからです。火のないところに煙は立たぬ、とはよく言ったもので「XXXのないところにビッグバンは立たぬ」というものと同じです。
このXXXを探すのが哲学(の一分野)なのです。それに対してこのXXXの中身を「GODだ!」と決めつけてから考えるのが神学です。哲学を論理的に物事を考える学問(一般的な考え方)として捉えた場合、哲学が言う「神」というのは「世界の最初」と同じ意味なのです。いわば「世界の最初」を便宜的に「神」と呼んでいるにすぎません。
この意味で「神」は「宗教」とは独立に存在するのです。