日記的なものです。哲学史を古代ギリシャから順に学んでいるのですが、その日学んだ知識の量が多かったり、不明瞭な理解があった場合にはここに書き散らそうかと思います。
ブルーノは喜劇作家の顔を持つ放浪哲学者です。と言っても好きで放浪していたわけではなく、キリスト教に異端をかけられて逃げざるを得なかったようです。最期は自説を撤回せず火刑にかけられています。かっけえな。
汎神論といえばスピノザの名前が挙がりそうですがブルーノも汎神論的な傾向があると言われています。汎神論というのは日本的な自然観にも重なるところが見られる考え方で自然は全部神様だ、という考えです。魑魅魍魎というのが日本ではその発想に基づいています(あと『トイレの神様』みたいな歌も)。
この考え方は実は宇宙論に基づいています。この理由を説明するには天動説の説明からしなくてはなりませぬ。
天動説というのは地球を中心に星(辰)が回っているという説です。ここでキリスト教事情が出て来ます(「!」シュババババ)
キリスト教にとって天動説というのは重要な教義と重なる要素なのです。大事なのは「地球が宇宙の中心である」ということです。
これは勘違いしそうな箇所なのですがキリスト教は何も「地球がナンバーワン!」と言っているわけではありません。むしろ「地球は全宇宙のカスが集まっているものだ!」という主張です。
これによってどう都合が良いのかというと「地球における生ってのは下劣なものだから、そこから救われるために入ろうキリスト教!」と言えるのです。最初から救われていればキリスト教なんか要りませんからね。
この「宇宙の中心は地球だ!」という天動説をブルーノは地動説を越えて(一応参考にはしている)「宇宙は無限だから、そもそも中心という概念は通用しないよ」と批判するのです。宇宙が無限である根拠としては神が無限の存在であるからです。(ここは前提的なものなので飛ばします)
この「無限の宇宙」という考えによって地球は最底辺の地位を脱しキリスト教の必要意義は破壊されるのです。
さらにコロンブスの新大陸発見によって、これまたキリスト教の重要な教義である「単一起源説」が危うくなります。
単一起源説とは人類はアダムとかいう「原罪」を背負った戦犯を祖先に持つのであり、だからこそ救済されなければならない、という教義です。
原住民との接触によって「どう考えても祖先ちゃうやつやろ」となったブルーノは複数起源説(それぞれの民族にそれぞれの起源がある)によってキリスト教を基する西洋文化全体を批判したのでした。
別にキリスト教のことなんか興味は無かったんですが哲学史上、イヤでも目につかざるを得ません。中世の哲学というのは神学が前提(というか神学がメイン)なのでキリスト教の教養のない僕みたいな日本人には誤謬の時代としか思えません。
しかし、キリスト教を全否定したブルーノでも神の存在は疑いません。これはどういうことなのでしょう。そこのところをいつか掘り下げて見たいですね。