Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

なんで哲学やってる人ってメンヘラっぽいの?という疑問

メンヘラっぽい人が決まってハマってしまう三大分野には「心理学、宗教、そして哲学」がある。

 

1つずつその理由を考えていく。

 

 

まず始めに心理学は自分がメンタルがヘラっているのを少なくとも自覚していること、そして何とかそれを専門の理論に基づいて解消しよう、理解しようとする人間がハマるものである。

 

次に宗教は「救い」を求めてハマるのであろう。自分で考えることを放棄している点で他の2つの選択肢よりもタチが悪い。

 

最後に哲学であるが、これには2つのパターンがある。1つ目は精神が病んだから哲学にすがるというものである。そういった病んだ状態で人間は何か「神」であったり「真理」というスピリチュアルなものを感じる。前者の場合は宗教にハマり、後者の場合は哲学にハマる。

 

2つ目のパターンは実は順番が逆なのである。「病んだから哲学を学ぶのではなく、哲学を学んでいるから病んだ」のである。ここでは個人的な経験に基づく主張である点に注意して欲しい。

 

哲学の勉強をしているときに適している精神状態というものがあると僕は主張したい。それはドンヨリと暗い、どこか希望などないといった消極的な状態である。この発見は幸福によって気分が高揚している状態では哲学的な文章が全く理解できなかった、また好きで哲学を学んでいるはずなのに不幸な感情が押し寄せるという実体験によるものである。

 

つまり論理を飛躍させて言い切ってしまえば「不幸なやつ」は哲学に向いているということだ。不幸なやつは哲学を学ぶ準備が整っているプレ哲学者とも言えるかもしれない。

 

そうなると勉強の最中に限ってどんよりとなる普通の人間よりも哲学的素質は十分にある。不幸なやつは哲学をやろう。

 

※ただし難解な思想を理解できた瞬間はまさしく「幸福による高揚」をもたらすので、その時点で哲学に向く心理状態は終わってしまうかもしれない。

 

タイトルの疑問に沿って答えを出すならば「メンヘラは哲学に向いているから」である。

 

追記:ルネサンス時代を学ぶことで気がついたのですが、この勉強中に鬱になる現象は中世の神学に絡んだ哲学に限って起こる現象だということが分かりました。

 

記事では宗教と哲学を区別して論じましたが、「中世の哲学」においては宗教は分化されたものとしてではなく、むしろ同一のものと扱うことが正しいと意見を変えさせていただきます。