哲学の歴史を追う2 無限への道
前回は哲学の発生という原初的なテーマを見ていきました。文字の発生によって生まれた自我が知的好奇心を宿す。それが哲学の発生でした。
今回はテンポよくミレトス学派の自然哲学者たちを見ていきましょう。彼らはミレトス学派とは別の分類であるイオニア学派にもあたる人物たちです。ミレトス学派がミレトス出身の学派ならばイオニア学派は万物の根源(アルケー)を規定して世界を考えた学派となります。
イオニア学派→タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネス、ヘラクレイトス、アナクサゴラス、アポロニアのディオゲネス、アルケラオス、ヒッポンなど
最初に見ていくのはアナクシマンドロスです。はい、古代ギリシアの哲学者が集結した有名な絵画『アテナイの学堂』からのご尊顔です。※諸説あるので違う哲学者の可能性もあります
彼は師匠であるタロスの、宗教を合理的に解釈する態度には則りました。しかし「いくらなんでも『水』はないでしょー。火とかどう説明するの?」とアルケーとしての『水』を否定しました。
それではアナクシマンドロスの設定したアルケーとはいったいなんでしょう。彼はアルケーを『ト・アペイロン(無限なるもの)』とします。
『水』が火によって否定されたのは水がその性質を持たない、いわば真逆のものだったからです。アナクシマンドロスはこの対の関係に注目しました。「昼と夜」、「夏と冬」、この世界に作用している諸力の間には基本的な相反関係があることを発見したのです。
この相反関係を「争い」と規定し、争いがあるからこそこの世界は存続しているとしました。そこでアルケーの条件を満たすものは、あらゆる相反関係を超え出たもの、すなわち「何かそれらとは異なる無限(無規定)なる本性のものである」つまり『ト・アペイロン』となります。
アリストテレスは「不死にして不滅って言ってるしこれ神様でしょ」と解釈を漏らしているがアナクシマンドロスの態度はタレスより受け継いだ神(宗教)を解釈し解体する態度にあると考える方が妥当ですね。ちなみにアルケーという言葉はアナクシマンドロスが最初に使ったそうです。
次にアナクシメネスを紹介します。
アナクシメネスはアナクシマンドロス同様に『無限なるもの説』を支持します。しかしアナクシマンドロスが「無限なるものだよ!なにかは知らねー」とほっぽり出したのに対してアナクシメネスはこの説の解釈として『空気』を持ち出します。
彼は「空気の反対って無くないか?それどころか冷たくなったり熱くなったりする無限なものじゃん」となかなか説得力のある説明をします。そう、性質を特定された具体的事物はアルケーに足り得なかったのです。
しかしここでアナクシマンドロスは、現代の知に慣れ親しんだ我々からすれば理解のしがたい理論を提唱します。「空気がなぜ色んな性質を持つのか?それはその密度にすべてが求められるんだ!」
彼のこの理論に口を挟むのにあまり哲学的な意味はない。だって科学的な見解が我々と一致しないだけであるから。我々の持つ科学理論だって完璧であるとは言い難いのだから。
ここで重要なのは『空気』がアルケーになり得るという事実である。我々の生命活動に直結した、このアルケーは「生ける宇宙」というモチーフを強固にしています。この世界観こそ神話からの脱出を図る彼らの姿を明瞭に表しています。
というわけで第2回でした。前回からかなり間が空いての投稿でしたが人への説明は自分の学習にも大きく寄与することを実感していますのでゆっくりでも続けていきたいです。