Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

真理と習慣の構造の類似性 てか同じ?

AならばB(例:火ならば熱い)が成立する根拠とは即ち積み重なった習慣である。

 

100回火に手を近づけて熱いことを確認したとしても101回目には冷たく感じる可能性があることを否定できない。

 

しかしこの共通認識(習慣)を共有して私たちの生活、存在は成り立っている。

 

「心臓を突き刺せば人間は死ぬ」という共通認識が無ければ我々の生存は保障されない。

 

存在の証明はできないが、その存在が前提にないと、この秩序だった(ように見える)生活は成り立ち得ない。

 

この論法でカントは自由意志の存在を規定した。

 

しかしこの「共通認識」とは決して証明され得ないということはカントの論法にも組み込まれており(『物自体』の正しい認識の否定)言いかえれば「人間の勘違い」とすることもできてしまう。

 

そんな「勘違い」を真理と信じ生きていくしかない。そんな悲しい存在が人間なのか?この悲痛な問いに無慈悲にも「YES」と答え結論付けたのがカントのアンチノミーであった。

 

※ポジティブな受け取り方をすれば、人間には人間にとっての真理があり理性の性能はそれ以上を求めることができないから、しょうがないよ。となる。