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Re Another Life

アニメや音楽に始まり哲学など

感動した(感想終わり)の仕組み

f:id:AnnieAreYou:20141225220105j:plain例えば感動的な映画を見たとしよう。あなたはひどく心を動かされる。

さて、あなたはその映画をどの視点で見て心を動かされたのだろう?

改めて考えてみると難しい話である。
スクリーンの前にいる自分か?映画中のモブ(つまり傍観者)としてか?映画の主人公か?ヒロインか?それとも固定はされていないか?

検証
第一にスクリーンの前にいる自分という案はよほど映画がつまらなくない限り無いだろう。映画中に自己を意識するというのもなかなか無いことなのだから

第二に映画中のモブとしてはどうか、というのもそういった意図が無い映画以外では難しい話である。実際のモブはバックストーリーを知り得ないのだから。よって特定の人物からの視点というのもなかなか怪しいものである。

最後に残る「固定はされていない」という選択肢だが、これは言い換えると「映画との一体化」となる。様々な視点から全ての情報を把握できる神の視点。それこそが我々凡人が映画を見る時の真の姿なのである。
※まあ制作側の思いのままというのが実際のとこであるが。だからこそ映画は強力なプロパガンダになり得るのだがこの話には関係ないのでスルー

やっと本題に入るが神の視点を持って映画を堪能した我々はどうにかそれを言葉に表したくなる(ここは人間ぽさ全開)

しかし実際どうだろうか?深い考察やスッキリ表せる言葉が出てくるだろうか。個人的には到底無理だ。

自分は“その世界”に確かに存在していて一体化していた。そんな強い繋がりが一瞬にして立ち消え世界と自分は分離する。分離に伴い感動を実感する。

これはもう具体的には自覚できないほど大きな変化であって(一種のショック状態)TwitterやらFacebookやらで「感動した (写真添付)」なんていう「頭悪そうに見える」投稿を多く見るのも仕方ないのかもしれない。以上浅く見える感想の生まれ方でした、もしかしたらそれは感極まって絞り出した言葉なのかもしれない

まとめ
1.視聴中の自分は映画と一体化
2.映画との分離によって発生する感動(の自覚)
3.発信